山陰沖の歌の語り(66)

第7章、歌の分化 第12節、城下町の歌 戦国時代、毛利氏と尼子氏との間で、山陰沖の、海の覇権をめぐる争いがあった。これに勝利した毛利氏は、尼子方に付いていた隠岐佐々木氏を滅亡させ、新たな隠岐の支配者となった。山陰を支配する吉川元春は、この地に…

山陰沖の歌の語り(65)

第7章、歌の分化 第11節、芸能と宗教と商業の分化 中世後期、水陸の交通が盛んとなり、技術革新は進み、貨幣流通も急速に拡大した。経済の集中と共に、都市の発展が起こってきた。社会的分業と市場の新たな展開が、各地の拠点都市で始まっていく。その統合…

山陰沖の歌の語り(65)

第7章、歌の分化 第11節、隠岐の舟歌 さらさらと 宇龍(うりゅう)岬を乗り越えて 鷺の明神 ありがたや かま鼻嵐を 帆に受けて 加賀の潜戸(くけど)や 稲荷さま 雨も降らぬに 笠の浦 曇りもせぬに 雲津(くもつ)浦 関の明神 伏し拝み 遙か東を 眺むれば …

山陰沖の歌の語り(64)

第7章、歌の分化 第10節、隠岐の皆一踊り 隠岐の「皆一踊り」は、若狭の「豊年踊り」と同じく「皆一様にお並び」と歌い始める。円く輪になって並び、踊太鼓(鼕)に拍子を合わせる。扇子を持って、皆一様にと踊り始める。 イヨー 皆一様に お並びなされ 皆…

山陰沖の歌の語り(63)

第7章、歌の分化 第9節、皆一の踊り 皆一様に お並びやれ 皆一様に お並びやれ 若狭の浜より 船に乗り 越前岬に 仕えたり 商い踊りを ひと踊り 越前岬も 押し出して 加賀の港に 仕えたり 商い踊りを ひと踊り ひと踊り 加賀の港を 押し出して 寺家(じかん…

山陰沖の歌の語り(62)

第7章、歌の分化 第8節、廻国の商人 面白いは 京下りの商人 千駄櫃(せんだびつ)担うて 連れは三人なり 千駄櫃には 多くの宝が候よ 宝負ひては 京(きょう)こそ殿が下りた 都下りに 思いも寄らぬ手土産(てみやげ) 商人を恋ゆるか 千駄櫃を恋ゆるか 千駄…

山陰沖の歌の語り(61)

第7章、歌の分化 第7節、商いの踊り 琵琶湖水運の要、その大津を掌握する日吉神人たちは、ここに集積する日吉社・叡山の荘園物産を取り扱っていた。つまり運輸、貯蔵、移送、そして販売へ至る諸業務である。琵琶湖水系での彼らの活躍は、さらに発展を遂げ…

山陰沖の歌の語り(60)

第7章、歌の分化 第6節、市庭の芸能 寺社の庭では、諸芸能が披露され、神仏に捧げられるための諸物産が運び込まれていた。そこは物品交換の場である。歌舞音曲の中で、沸き立つ思いに購買意欲はそそられる。斎(いつき)の庭場は、市の庭場へ、市の聖(ひじ…

山陰沖の歌の語り(59)

第7章、歌の分化 第5節、庭の舞 庭の舞は、神の社、その斎場で舞われていたもので、この島では港湾の市、港の市庭で舞われていた。その歌詞の断片から判断すれば、これはもともと東遊の駿河舞であった。 今朝の節句(せく)のもの 七絃(ななつ)もの 八絃…

山陰沖の歌の語り(58)

第7章、歌の分化 第4節、五本の祭 隠岐島前、浦郷の日吉神社にも十方拝礼(しゅうはいら)の祭儀は残る。この日吉神社には、中世期の芸能、古様の神事「五本の祭」が遺されている。「五本の祭」とは五つの祭礼で、十方拝礼とは、そのうちの一つである。 五…

山陰沖の歌の語り(57)

第7章、歌の分化 第3節、田楽の舞 隠岐島前の美田八幡宮には、古式の田楽舞「十方拝礼(しゅうはいら)」が残されている。十方拝礼とは、四方拝の庶民化、一般化の名称で、衆の結縁を結ぶ拝礼である。四方八方の仏神に、そして天地(あめつち)の仏神に、深…

山陰沖の歌の語り(56)

第7章、歌の分化 第2節、蓮華会舞 隠岐国分寺には古式の舞楽「蓮華会舞」が残されている。蓮華会の名称起源は、蓮華の日(蓮華生)六月十五日の祭事であったからである。それは節句、麦秋、麦盆の日である。水田の少ない隠岐にあって、その牧畑耕作の主産…

山陰沖の歌の語り(55)

第7章、歌の分化 第1節、演劇空間の創出 貞和五年(1349)京の四条河原で橋勧進の田楽が演じられた。祇園社への参拝路、四条大橋の修造のためである。勧進聖、田楽法師たちが造った桟敷は、満ち溢れた群衆によって倒壊し、多くの死傷者を出した。太平記の記…

山陰沖の歌の語り(54)

第6章、歌の変容 第21節、蕉風俳諧へ 近世に於ける商人の活躍は、ここに商人文化を見事に花開かせていく。騒ぎ歌をうたい、繁栄を喜びうたう中から、やがて彼らの美意識も研ぎ澄まされていく。そこに芭蕉が登場した。彼の「柴門の辞」を引用しておこう。弟…

山陰沖の歌の語り(53)

第6章、歌の変容 第20節、俳諧の始まり 近世に大流行する俳諧は、もともと「俳諧の連歌」と称されたように、新興町人層の文化上昇の機運の中で支えられ、連歌から派生してきたものである。いや連歌そのものが、本来、諧謔を以て歌われた遊びだった。そのお…

山陰沖の歌の語り(52)

第6章、歌の変容 第19節、室町小唄の世界 〽 歌えや歌え 泡沫(うたかた)の あわれ昔の 恋しさを 今も遊女の舟遊び 世を渡る一節(ひとふし)を歌いて いざや遊ばん (閑吟集) 〽 身は浮舟(うきふね) 浮かれ候(そろ) 引くに任せて 寄るぞ嬉しき (宗…

山陰沖の歌の語り(51)

第6章、歌の変容 第18節、宗祇から宗長へ 元来、連歌の意識は庶民の遊びであった。互いの機知と諧謔を生命に、その贈答応酬の中から、連歌は生まれ出た。それは韻文による笑いであり、喜悦であり、快楽であった。だがここに宗祇によって、その芸術性は最高…

山陰沖の歌の語り(50)

第6章、歌の変容 第17節、宗祇の連歌 長享二年(1488)連歌の大成者・宗祇は、弟子の肖柏と宗長とを伴い、摂津の水無瀬神宮へ赴いた。ここは後鳥羽院の霊を慰める社である。その御廟の霊前に、三人で連歌を詠み、供え奉った。数ある連歌集の中で、その最高…

山陰沖の歌の語り(49)

第6章、歌の変容 第16節、南北朝合一 長い動乱の末、ついに南朝と北朝とは合一となる。足利義満の極めて高度な政治戦略によってである。南朝の後亀山天皇は吉野を出て京に帰り、北朝の後小松天皇に神器を渡した。明徳三年(1392)のことである。 両朝合一の…

山陰沖の歌の語り(48)

第6章、歌の変容 第15節、連歌と能 当時、希代の能の名手と謳われた犬王道阿弥や、大和猿楽の観阿弥や世阿弥など、時衆に関わる阿弥号を持つ芸能者たちの活躍があった。河原の者、放下の芸能者、犬や猿の芸にも紛うと卑下する彼らではあったが、その芸の力…

山陰沖の歌の語り(47)

第6章、歌の変容 第14節、百首和歌・千句連歌 高田大明神 百首和歌(一部) (初春) 春寒き 山は高田の 高ければ 雪の下より 立つ霞かな 准三后 (中春) 春の夜の あかつき出づる 月光に 木の間下照る 高田山かな 源高秀 (晩春) 花ならぬ 木末も見えず …

山陰沖の歌の語り(46)

第6章、歌の変容 第13節、神の霊夢 時衆四条派の総本山は、京都の四条京極にある金蓮寺(四条道場)である。四条道場は、四条河原や祇園社を含めた京の一大行楽地の、その入り口に立地していたから、連歌はもとより京の諸芸能に、殊に深く関わることになっ…

山陰沖の歌の語り(45)

第6章、歌の変容 第12節、時衆と連歌 南北朝の動乱期には、種々雑多な芸能者たちが社会の表面に現れていた。民衆と共に連歌をうたっていたのは、主に時衆(後には時宗と称した)の徒である。市の聖として遍歴するこの宗教者たちは、宗祖・一遍(1239~89)以…

山陰沖の歌の語り(44)

第6章、歌の変容 第11節、室町大名の連歌熱 婆娑羅の大名として有名な近江守護の佐々木道誉、その連歌熱も、また大変なものであった。文和年間(1352~56)の千句連歌、和漢連句の催しは、彼の主催による。太平記によれば、道誉は大原野に於いて自ら花会を主…

山陰沖の歌の語り(43)

第6章、歌の変容 第10節、連歌の隆盛 二条良基が地下連歌師の救済を師として連歌に打ち込んだのは、連歌特有の開放感と連帯感の所以である。ここに参加する者たちは、身分の違いを超え構成する歌世界へ、その心身を没入させていた。良基と救済による菟玖波…

山陰沖の歌の語り(42)

第6章、歌の変容 第9節、花の下の連歌 刻々と創造される連歌世界は、物語世界へ、演劇世界へ、また人々を妖しく誘うものであった。確かに連歌師たちは説経節を語り、猿楽や田楽を演じ、神仏の功徳を語り、劇的世界を創出し始めていた。歌と踊りと語りに彩…

山陰沖の歌の語り(41)

第6章、歌の変容 第8節、連歌の普及 建武三年(1336)湊川合戦があり、南朝方の新田義貞、楠木正成らは敗れ、九州から攻め上って来た足利尊氏が覇権を確立した。そして建武式目が制定される。室町幕府の成立である。式目には次の如くある。 近年 婆娑羅と…

山陰沖の歌の語り(40)

第6章、歌の変容 第7節、後醍醐の建武新政 後醍醐の力の源泉は、新たに勃興してきた中小商工業者たちの経済力に負う。後醍醐の新政は、彼らの経済的繁栄を促進するため、積極的な通商交易政策を採った。関所停止令や、市場交易の貨幣たる「米価」の安定政…

山陰沖の歌の語り(39)

第6章、歌の変容 第6節、後醍醐の決意 脱出した後醍醐を追って、隠岐判官の佐々木清高は伯耆へと渡った。だが後醍醐を守る武力は既に準備されていた。出雲に在った一族の富士名(ふじな)判官・佐々木義綱は、既に後醍醐を支える立場にある。旗幟鮮明にし…

山陰沖の歌の語り(38)

第6章、歌の変容 第5節、後醍醐の隠岐脱出 後醍醐は彼ら廻国の聖たちの支援を受け、春夜密かに、軟禁されていた隠岐黒木御所を脱出した。その脱出経路はと言えば、当然ながら船の道である。黒木御所のある別府湾は警戒厳重で、逃亡は困難であったから、徒…