2020-01-05から1日間の記事一覧

山陰沖の歌の語り(33)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第8節、歌の残影 延応元年(1239)在島十八年にして後鳥羽は隠岐で崩じた。その間、北条氏の命により、厳しい監視が隠岐国守護、佐々木左衛門尉泰清によってなされていた。後鳥羽の崩御の折、佐々木泰清が詠んだ痛切な哀傷歌があ…

山陰沖の歌の語り(32)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第7節、小倉百人一首 小倉百人一首は巻頭の第一首を、平安王朝の皇統の祖、天智天皇から始める。続く第二首は、天智の娘の持統である。巻頭に親子の天皇を配したのは、巻末に後鳥羽と順徳という親子の天皇を配し終了するからであ…

山陰沖の歌の語り(31)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第6節、後鳥羽と定家 新古今和歌集を成立せしめた後鳥羽と定家、歌の美意識の上で、言葉の価値観の上で、二人の間には相当の違いがあった。それが互いの確執を生んでいた。承久の乱の直前、定家は後鳥羽の不興を買い、退けられて…

山陰沖の歌の語り(30)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第5節、隠岐本「新古今和歌集」の成立 政権奪還を目指し、立ち上がった後鳥羽は、承久の乱に敗れ去った。治天の地位を失い、流謫の日々にあっても、なお彼は時代の文化体現者たる矜恃を失うことはなかった。遙かな鄙の隠岐の地で…

山陰沖の歌の語り(29)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第4節、後鳥羽の配流 承久の乱は、北条泰時、時房らの活躍により、鎌倉方の一方的な勝利に帰した。京方は完全に敗れ、後鳥羽は隠岐へ、順徳は佐渡へ、土御門は土佐へと、三上皇は悉く配流されてしまった。そして仲恭天皇も廃位さ…

山陰沖の歌の語り(27)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第2節、新古今和歌集の成立 歌道に深く研鑽を積む後鳥羽は、藤原定家ら和歌所の六人に命じ、古今の名歌秀歌を選別させた。この提出された選歌を、後鳥羽自身さらに精選し和歌所へと差し戻した。そして部類分けや配列の作業を経て…

山陰沖の歌の語り(26)

第5章、後鳥羽上皇と隠岐 第1節、後鳥羽の登場 源平合戦は壇ノ浦で終了した。亡くなった安徳天皇の後を承け、後鳥羽(1180~1239)は寿永二年(1183)僅か三歳にして皇位に就いた。 ①後白河 ─┬ ②二条 ─ ③六条 └ ④高倉 ┬ ⑤安徳 ├ 後高倉 ─ ⑩後堀河 ─ ⑪四条 └…

山陰沖の歌の語り(25)

第4章、歌の復権 第4節、延喜歌壇の隆盛 小野篁は古今和歌集の第一期、いわゆる「よみびと知らず」の時代の作者である。その初期和風(やまとふう)の表現は、さらに六歌仙の時代を経て、紀貫之に代表される延喜歌壇の隆盛に繋がる。 和歌にすぐれて めでた…

山陰沖の歌の語り(24)

第4章、歌の復権 第3節、唐歌から和歌へ 小野篁は、巧みに漢詩を作る傍ら、一方で和歌をも詠作していた。彼がさらに踏み込み、歌心をしっかりと捉えるようになるのは、隠岐配流に遭ってからである。艱難辛苦の流刑を経験したことで、彼は充分に自らの心に向…

山陰沖の歌の語り(23)

第4章、歌の復権 第2節、文事官僚の小野篁 小野岑守の息男・小野篁(802~852)は、父と同じく漢詩文に巧みで「経国集」などに作品を残している。当時「詩歌の宗匠」とまで讃えられていた。その学識の深さは、清原夏野らと令義解を撰ぶことでも知られる。孫…

山陰沖の歌の語り(22)

第4章、歌の復権 第1節、文字使いの変容 名族の大伴氏を抑え込んだ藤原氏は、支配原理の律令体制を充分に把握し、官僚機構を完全に掌握していた。その官庁行政の公式文書は全て漢文体である。当時の官吏の教養も、論語や史記や文選など、全て漢籍から得ら…

山陰沖の歌の語り(21)

第3章、歌聖の伝説 第4節、空蝉の歌 武の家、歌の家として誇り高い大伴氏も、その誇りを捨て、ひっそりと生きて行く。大伴の「大」の文字を外し、伴氏を名乗ることとした。桓武の 皇子で、平城、嵯峨の弟の大伴親王(後の淳和)の名を避けたからだという。…

山陰沖の歌の語り(20)

第3章、歌聖の伝説 第3節、悲愁の門 自ら「山柿の門」と人麻呂を敬慕する大伴家持も、また隠岐と深い関わりを持つ。古代以来の名家たる大伴氏、その氏上の家持は、新興の藤原氏から強い掣肘を受け続けた。その政治的危うさは、終生、彼に歌の世界への沈淪を…

山陰沖の歌の語り(19)

第3章、歌聖の伝説 第2節 人麻呂の息子の物語 隠岐には柿本美豆良(かきのもとのみつら)伝説が残る。美豆良(みつら)とは人麻呂の息子である。流離する人麻呂の分身である。彼は政争に巻き込まれ、この島に流された。言霊の抑圧として流されたのである。…

山陰沖の歌の語り(18)

第3章、歌聖の伝説 第1節、明石の歌 河内から摂津へ、摂津から明石へ、そして瀬戸内海から日本海へ、人麻呂流離の物語は水系を辿り流れて行く。それは歌の伝播、文字の伝播、人々の心の交流であった。 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 舟をしぞ思ふ…