2020-01-26から1日間の記事一覧

山陰沖の歌の語り(58)

第7章、歌の分化 第4節、五本の祭 隠岐島前、浦郷の日吉神社にも十方拝礼(しゅうはいら)の祭儀は残る。この日吉神社には、中世期の芸能、古様の神事「五本の祭」が遺されている。「五本の祭」とは五つの祭礼で、十方拝礼とは、そのうちの一つである。 五…

山陰沖の歌の語り(57)

第7章、歌の分化 第3節、田楽の舞 隠岐島前の美田八幡宮には、古式の田楽舞「十方拝礼(しゅうはいら)」が残されている。十方拝礼とは、四方拝の庶民化、一般化の名称で、衆の結縁を結ぶ拝礼である。四方八方の仏神に、そして天地(あめつち)の仏神に、深…

山陰沖の歌の語り(56)

第7章、歌の分化 第2節、蓮華会舞 隠岐国分寺には古式の舞楽「蓮華会舞」が残されている。蓮華会の名称起源は、蓮華の日(蓮華生)六月十五日の祭事であったからである。それは節句、麦秋、麦盆の日である。水田の少ない隠岐にあって、その牧畑耕作の主産…

山陰沖の歌の語り(55)

第7章、歌の分化 第1節、演劇空間の創出 貞和五年(1349)京の四条河原で橋勧進の田楽が演じられた。祇園社への参拝路、四条大橋の修造のためである。勧進聖、田楽法師たちが造った桟敷は、満ち溢れた群衆によって倒壊し、多くの死傷者を出した。太平記の記…

山陰沖の歌の語り(54)

第6章、歌の変容 第21節、蕉風俳諧へ 近世に於ける商人の活躍は、ここに商人文化を見事に花開かせていく。騒ぎ歌をうたい、繁栄を喜びうたう中から、やがて彼らの美意識も研ぎ澄まされていく。そこに芭蕉が登場した。彼の「柴門の辞」を引用しておこう。弟…