第Ⅰ部、隠岐の宮相撲[第1章、隠岐の宮相撲とは]

 

                                                                                                                     

 第1章、隠岐の宮相撲とは(Ⅰー1)

 ①水若酢神社の宮相撲(Ⅰー1ー①) 

 ②番付編成の仕組み(Ⅰー1ー②)

 ③土俵造り(Ⅰー1ー③)

 ④番組の始まり(Ⅰー1ー④)

 ⑤中入の挨拶(Ⅰー1ー⑤)

 ⑥役力士の相撲(Ⅰー1ー⑥)

 ⑦人情相撲(Ⅰー1ー⑦)

 ⑧柱相撲(Ⅰー1ー⑧)

   

水若酢神社の宮相撲

 宮相撲が行われる隠岐一宮「水若酢(みずわかす)神社」は、隠岐で最も社格の高い神社である。近辺には縄文遺跡があり、社殿そのものも古墳分布の中心にある。正倉院文書にも、祭祀に関わる記事が載る。延喜の式内社(名神大)として、古来、篤い尊崇を受けてきた。その鎮座地について『和名抄』の記載を示せば、隠岐國穏地(おち)郡河内(かむち)郷である。隠岐の島後(どうご)つまり主島の北辺に位置し、当時の国防の最前線であった。新羅の国に向き合う国境の地である。祭神の水若酢命とは、この海を守り、この島を守り、この国を守る神であった。

 水若酢神社の社殿は、ほぼ20年ごとに修理修復、屋根葺替が行われる。その工事の期間中、神は遷座する。いわば20年ごとの遷宮儀式が、ここで執り行われる。その折に、奉納相撲が行われる。古来「宮相撲」と呼ばれてきた。直近の相撲は平成13年(2001)で「平成の大修理」の際に行われた。

 記録を辿れば、現社殿(重要文化財隠岐造り社殿)建立の折、寛政7年(1795)にも行われた。もちろん、それ以前からも行われていたが、近くを流れる重栖(おもす)川の氾濫により社殿は破壊、その折、記録を記す古文書は、一切消滅してしまった。寛政7年の建立とは、社殿復興の折の記録である。

 宮相撲が執り行われるのは、20年ごとの神社修復の時ばかりではない。島を挙げての慶事があれば、その折にも行われる。例えば、新たな水源池の構築そして水害対策としての銚子ダム竣工記念(1999年)、新たな交通拠点としての新隠岐空港の完成記念(2006年)、新隠岐病院の開院記念(2012)などで、島民全ての喜びと共に、執り行われた。つまり神と共に、慶事を祝い、喜ぶのである。

 

番付編成の仕組み

 宮相撲は伝統を承けた祭事である。ゆえに古式に則り行われる。役力士は小結、関脇、大関の三役で、横綱のいない古式相撲である。座元(主催者たる地元)と、寄方(寄り合いの相手方)とで対戦する。

 何日も前から村々の長老たち(頭取と称する)が集い、番付編成会議を開く。島の若者たちの人となり、その力量などを検討し、何日も懸け、何度も意見を交わし、この協議は煮詰められる。だが番付の順位はなかなか決まらない。力士の実力、技量、品格、実績などから、役力士は選ばれる。だがどんなに優れていても、その年、その家に不幸などがあれば、選ばれることはない。それはこの相撲が勝負ではなく神事だからである。

 長老たちの長い議論と合意の中で、やがて小結、関脇、大関の、正三役は決まっていく。ここに入りきれない有力力士は、番外三役、番々外三役として遇される。役力士に選ばれること自体、最高の栄誉である。それぞれの力士は、この宮相撲に出るのではない。あくまでも選ばれ、神の大前(御前)に立つ。すなわち出させていただくのである。家族はもとより地区の住民にとっても、それは大いなる栄誉であった。

 

土俵造り

 番付編成会議の一方で、境内では新しい土と新しい稲藁で、土俵造りが行われる。土を盛り、土を容れた俵で、段々に組み上げられていく。古式「宮相撲」の土俵は、珍しい三段重ね、三重の土俵である。これを三枚土俵という。

 土俵の俵は稲霊の象徴、その俵で囲まれた聖なる土の空間とは、豊穣の神の出現の場である。第一段は方形、第二段は円形、第三段は円形と、段々に天に至る正円の聖丘「地方天円」の天壇である。土俵の四方には、それぞれ柱が立てられ、紅白の布が巻き付けられる。柱と柱の間は、貫(貫柱:ぬきばしら)で四辺として支えられ、四本柱の上には青竹二本が交差して渡される。その交差した青竹の中央に、白い幣が垂らされる。神は土俵の中央、真上から、この勝負を喜び見届ける。

 四本柱と二本の青竹で作られる四角い空間とは、神の臨御する場、すなわち世界の中心である。ここから上下左右、四方へと、世界は広がる。その大地の中央、積み上がった正円の壇上で、力士は大きく柏手(かしわで)を打ち、四股(しこ)を踏む。その力は虚空に響き、大地を揺るがす。左右に広げた両手は、天地に翻り、天神地祇を招き寄せる。この聖なる領域に、やがて水若酢の大神の来臨がある。

 

番組の始まり

 番組はまず立行司の挨拶「行事口上」で始まる。続いて「顔見世(かおみせ)土俵入」があり「草結(くさむすび)」の取り組みから実際の相撲は始まる。

 草結は最初の取組ということで、重要な役柄である。まだ三役に入れるには早いが、一般の割(わり)相撲に入れるには惜しい将来性のある若い力士が取る。続いて「割相撲」である。これが一般の相撲で、二十番から三十番は取る。対戦が一区切り付いたところで「飛びつき五人抜き」が行われる。これは立ち会いをきちんと仕切るのではなく、飛びついて相撲を取り、勝った力士は残って次の相手と取る。こうして次々に相撲を取っていく、小さな子どもたちも参加し、大賑わいとなる。

 番組は午後から始まるが、夕方になり夜になる。やがて土俵の周囲は応援する村人たちで一杯になる。酒を酌み交わし談笑する。次第に熱が入り、喧噪の中、もう大混雑となる。深夜に中入(なかいり)となる。だいたい真夜中の12時頃である。

 

中入の挨拶

 中入では主催者の挨拶があり、鏡開き、ふれまいがあり、相撲踊、相撲甚句、そして隠岐太鼓が打ち出される。夜を徹しての祝祭である。中入の後は、また再び「割相撲」そして「飛びつき五人抜き」である。やがて「正五番」に入る。正とは、立ち会いをきちんと仕切るということで、正式な相撲ということである。正五番は前もって選抜してある20代、30代、40代の力士が、それぞれ年代別に取る。この年代別の力士が、座元、寄方、それぞれ5人ずつ選ばれる。このうちの一人が、相手方5人全員に連勝するまで相撲を取り続ける。勝ち抜き戦である。いつまでたっても5人を勝ち抜けない場合、途中から3人抜きに成る。それでも勝ち抜けない場合、行事による勝負預かりで終了する。相撲は夜を徹して続けられるので「夜相撲」とも称される。

 

、役力士の相撲

 そして朝が来る。いよいよ役力士の登場となる。座元と寄方、その勝負の時を迎える。徹夜で疲労しているにもかかわらず、観客は熱狂的な応援合戦を繰り広げる。次々と入場してくる力士に向け、そして土俵上の力士に向け、花道脇の観客席から、そして土俵脇のさじき席から、浄めの塩が投げ掛けられる。

 取組の順は、番々外の前相撲、番々外の三役相撲、番外の前相撲、番外の三役相撲、正三役の前相撲、そして最後が正三役の相撲となる。正三役の最後に登場するのが最高位の大関戦である。この頃となると、番組はもう遅れに遅れ、昼頃である。だが最高度に盛り上がる瞬間で、その掛け声も、四方八方から、もう絶叫である。

 

人情相撲

 この古式相撲は常に二番の勝負、必ず二番の相撲を取る。草結、割相撲、正五番、番々外三役、番外三役、正三役、全て二番ずつの相撲を取る。

 一回目に勝つことを先勝(さきがち)といい、これが本来の勝負である。二回目になれば先勝は勝ちを譲らねばならない。互いに勝ちを祝い合い、協調する神事相撲だからである。このカミゴト(神事)は、古来、コズマ(神相撲)と称され、二番ずつ奉納されてきた。

 狭い島であるから勝負に伴うわだかまりを後まで残してはならない。それを土俵の上で、素早い勝負の中で、払拭させておく。神の大前(御前)で戦った二人は、以後、生涯の親友になるという。よくよく配慮された古人先人の知恵である。一勝一敗の後は、土俵上で互いの健闘を讃え合い、交互に相手を抱え上げる。ゆえにこの相撲を、また人情相撲ともいう。人情に絡ませたのは、現代的な解釈であろう。

 

柱相撲

 三役力士の賞品は、土俵を囲む四本柱である。これ以外に賞品は何も無い。それゆえ、この相撲を柱相撲ともいう。勝負がすべて終わり「打ち上げ」の時、土俵四隅の柱を抜く。勝った大関が、先ず好きな柱を選ぶ。次に負けた大関、次に勝った関脇、そして負けた関脇、この順で柱を選び、貰う。小結は貫(貫柱)を2本ずつ貰う。草結は土俵に交差した青竹を1本ずつ貰う。

 では、番外三役、番々外三役は、貰えないのかとなるが、実は彼らも柱を貰う。土俵造りの折、予め、この柱の本数が用意されている。それが「明神さん(水若酢神社のこと、その祭礼)は十二本」という言葉である。つまり紅白に包まれた四本柱に、さらに2本ずつ補強の白木柱が寄せられ、立て掛けられる。3本ずつに補強された四方の柱は、充分、試合中の衝撃に耐える。この都合12本の柱が、正三役はもとより、番外三役、番々外三役の、大関と関脇とに与えられる。そして小結に与えられる貫(貫柱)は、これまた補強の名目で、4本ではなく12本が用意される。だが重くなるため、各2本ずつ、やはり四本柱に寄せ掛けられる。これで役力士の全てに柱が行き渡ることになる。

 柱を貰った力士(大関)は、その柱にまたがり白い幣を打ち振り、担がれたまま土俵を周回する。柱に乗ったまま自村へと凱旋し、足を地に着けず、自宅の床の間まで担がれる。勝利した最高位の大関とは、もう神だからである。腰に注連縄を張る大相撲の横綱と同じで、神聖な力士ということである。この勝利した力士を迎える村は、神を迎える村ということになる。以後、豊穣と幸運とが降り注ぐという。