第Ⅰ部、隠岐の宮相撲[第6章、柱の祭儀]

第6章、柱の祭儀(Ⅰー6) 

 ①天にそびえる神樹(Ⅰー6ー①)

 ②天地を繋ぐはしご(Ⅰー6ー②)

 ③天を支える柱(Ⅰー6ー③)

 ④門衛としての力士(Ⅰー6ー④)

 ⑤神樹の下での相撲(Ⅰー6ー⑤)

 

①天にそびえる神樹

 柱とは、もともと天と地とを繋ぐもの、高木のことである。記紀が語る「高木の神」とは最高神のことである。その降り立つ神樹(高木)の下で、伊邪那岐イザナギ)と伊邪那美イザナミ)の両神が神婚する。つまり世界が始まっていく。聖書世界でも生命樹の下でアダムとイブが暮らす。

 神樹の下での相撲のルーツは古い。高句麗の古墳壁画に相撲図があることは、よく知られている。中国の東北地方、その輯安(通溝)にある角觝塚の東壁図には、大樹の下での相撲が描かれている。裸身に褌のみを着けた二人の壮夫が、大いなる神樹の下で、互いに取り組むという姿である。

 コリア(韓国・朝鮮)には相撲に似たシルムという競技がある。シルムの原型は高句麗の古墳壁画に見ることができる。先にも述べた神樹の下での、壮夫による力の奉納である。

 モンゴル(外蒙古内蒙古)には相撲に似たブフという競技がある。ブフの原型は聖地オボ(小さな丘)の祭礼で行われる。オボの祭壇は、砂や石で組み上げられる。その上に、柳の木で円筒形の枠組みが作られ、そこに木で作った旗竿が立てられる。丘の上の聖なる木、大いなる神樹の意で、その木は「オボの木」とも呼ばれる。ブフのルーツは、やはり神樹の下での力の奉納である。

 

天地を繋ぐはしご

 聖書には、神(天使)と格闘するヤコブの話が載る。激しい取っ組み合い、掴み合いになり、夜明けまで格闘は続いた。だがヤコブは相手を離さない。自らを祝福してくれるまで離さないと、そのように記す。

 このヤコブが見る夢に、天と地とを結ぶ梯子の話が登場する。新改訳で紹介しておく。「見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂きは天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている(創世記28-12)」とある。

 ヤコブの格闘(相撲)とは、神への力の奉納である。その結果、神から祝福を授かる。「あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない(創世記28-14.15)」とある。

 はしごを中心軸として、この地から東西南北に子孫は広がり、繁栄するという。この神の降臨するはしごとは、聖なる柱、神樹を意味する。

 

③天を支える柱

 ギリシャ神話では、天を支えるのはアトラスである。そしてアトラスに替わり、暫し天を支えるのがヘラクレスである。ゼウスの息子ヘラクレスは、ガイアの息子アンタイオスと力比べをする。それは天地の分離、秩序の確立、まさに力士が果たす役割である。

 ヘラクレスは、あの世(オケアノスの海)と、この世(地中海世界)の境、ヘラクレスの門(ジブラルタル海峡)の門衛である。その両肩に該当する二つの柱(ヨーロッパ側とアフリカ側の柱)で、天空を支える。その一方の柱(ヨーロッパ側)がイベリア半島の山々であり、もう一方の柱(アフリカ側)がアトラス山脈である。本来、天空を支えるのは、この南のアトラス山脈の方で、そこにヘラクレスの助力があったという話である。

 ヘラクレスの門は、地中海世界にとっては西の門、東から昇り西に沈む太陽神の運行を見届ける。アトラスもヘラクレスも、その力士たるの役割は、天地運行の秩序を司るものだった。

 

④門衛としての力士

 日本神話に登場する力士は、先にも述べた手力男(タジカラオ)である。彼は鶏鳴と共に天岩戸を押し開き、幽冥界に去った天照大御神を、再び顕明界へと引き戻す。つまり顕幽の境に立つ門衛の神であった。門を境にして、この神話世界、高天原世界の秩序を創り出していた。常世の長鳴鳥の門は、やがて鳥居として形を整え、宮居を飾り、世に高く聳え立つ。

 仏教世界の秩序に関わるのが、金剛力士(仁王、二王)で、これも門衛の神である。阿形の密迹金剛と吽形の那羅延金剛とが、力強く左右に立つ。阿吽の呼吸で周囲を睥睨し、一堂伽藍の寺院世界を護り、安寧と秩序とを保つのである。その秩序を作り出す門(中門あるいは南大門)とは、やはり天に向かい、光を受けて、聳え立つ。

 相撲人として召し出された隼人も、隼人門における門衛として、宮廷世界を秩序付けた。また相撲節会に召し出された各地の相撲人たちも、本来、関を守る関取たちであった。四囲に広がる街道の門衛、その関所を守る力人たちであった。門柱の下で、彼らは国家の秩序を作り出し、その体制を力強く維持していた。

 

⑤神樹の下での相撲

 その昔、相撲は大いなる神樹の下で執り行われていた。『日本書紀』持統九年(695)五月条に「丁卯に隼人の相撲とるを西の槻の下に観る」とある。持統天皇飛鳥寺の西側の広場にある槻の大木の下で、大隅の隼人たちが相撲を取るのを観戦した。槻とはケヤキに似た落葉樹で、しばしば巨木に育つ。その巨木の下に天皇は臨御した。巨木の影さす所、そこが玉座であった。神樹なればこそ、その木の影に護られた場所は玉座となった。天覧相撲は、この神樹の下で行われた。

 節会相撲の頃、大いなる神樹は、帝が立つ天壇すなわち紫宸殿の高御座(たかみくら)に象徴され、変換された。そして神樹の属性は、前庭の「左近の桜」と「右近の橘」に分離され、移し置かれた。だから天覧相撲は、その変容した神樹の下で執り行われる。神樹の下での儀式は、また演能の舞台にも表れる。能舞台の背景には、神樹たる影向(ようごう)の松が描かれている。この松の前で行われる能とは、神の前で行われるのに等しいのである。