隠岐の相撲(8)

第Ⅰ部、隠岐の宮相撲

第8章、相撲の進行(Ⅰー8)

 ①行司口上(Ⅰー8ー①)

 ②草結(Ⅰー8ー②)

 ③花相撲(Ⅰー8ー③)

 ④割相撲(Ⅰー8ー④)

 ⑤中入(Ⅰー8ー⑤)

 

行司口上

 水若酢神社の宮相撲は、立行司の「行司口上」で始まる。続いて「顔見せ土俵入り」があり、力士が次々と土俵上に登場する。次いで草結、割相撲、正五番、番々外三役、番外三役、正三役と続く。

 行司の発生は古代の節会相撲にも遡る。そこでは立合(たちあわせ)と称する役職があり、主に相撲人を立ち合わせる役割を担っていた。

 太田牛一の『信長公記』は、元亀元年(1570)3月、近江の常楽寺に於ける信長上覧相撲で「行事」の登場を伝えている。この時の記載は「行事」であり「行司」ではない。「其時之行事は木瀬蔵春庵」とある。また天正6年(1578)2月の上覧相撲では、同じく「行事木瀬蔵春庵、木瀬太郎太夫、両人也」と記している。

 当時は相撲行事を取り仕切る「行事」役であった。行司の文字が見えるのは江戸時代のこと、元禄年間からである。

 勧進相撲が盛んになった江戸の中期以後、相撲行事の司役たる「行司」の役柄が確立する。それは勝負を判定するに、誇りをもって審判を下す者、自他共に許す専門職化した姿である。ゆえに行司にも階層化が生じてくる。見習い行司から始まり、序の口格、序二段格、三段目格、幕下格、十両格、幕内格、そして三役格の行司へ、そして最高位の立行司へと昇る序列階層である。

 

②草結

 隠岐の宮相撲では、取組の最初は草結(くさむすび)である。草結とは、花相撲においての初切(しょっきり)をいう。これも最初に行う相撲である。

 初切りは余興として、面白おかしく相撲を取り、観客を沸かすことを目的とする。だが本来の目的は、四股(しこ)や塵手水(ちりちょうず)や仕切り(しきり)など、土俵上の所作事を理解させる最初の道案内である。正しい相撲の取り方を、面白く指導し、また禁じ手というものを分かり易く示すものであった。

 初切という言葉自体、本割(本来の割相撲、つまり本来の取組)に入る前の区切り、模範演技として演じられたことから名付けられたものである。以後の取組に怪我が無いようにと、幸運を祈り、幸福を呼ぶ道しるべ、草を結ぶことで初切を始めた。つまり草結とは、神の恩寵を請い願う呪術なのである。『万葉集』に載る有間皇子の歌が、よく引き合いに出される。

 

 磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む    有間皇子

                           (万葉集 巻2 141)

 

 〈歌意〉磐代(いわしろ)の浜に生える松の小枝を引き結んで祈りを込めました。

     無事に帰ることができましたならば、再びその枝を見たいものです。

 

 青森の南部相撲では、今でも最初の相撲を草結という。古い節会相撲では、最初の相撲は幸運を占い導くがゆえ、占手(うらて)と称した。弘仁12年(821)選上の『内裏式』つまり宮中における恒例あるいは臨時の式次第を記した書き上げには、7月7日の相撲式で「先づ占手出る。四尺以下の小童を用ゐる。前日に内裏に於いて長短を量り、あるいは四尺を越す者有れば、当日更に相撲為さしめず、もって負けと為す」とある。

 最初に登場する占手は小童(子供)でなければならなかった。四尺を越す大童(若者)では、占手相撲は取らしてもらえない。子供は神に近い存在であるからである。それゆえ子供が相撲を取り結べば、ここに神霊が憑依する。相撲場に恩寵が降り注ぐとする。今も全国各地に残る神事の子供相撲とは、この占手相撲の変容である。

 

花相撲

 今の大相撲では、最初の一番は、もう草結とは呼ばない。ただ初口(しょっくち)と呼ぶだけである。それでは何やら味気ない。折口信夫の『草相撲の話』には、相撲の古形において、力士は穢れを払い、身体に草を付けて行ったという。幸を求め、草を身体に結び、草花の霊威を賦与され相撲を取ったのである。

 相撲節会でも、左方の力士は髷(まげ)に葵の花を挿し、右方の力士は髷に夕顔の花を挿した。葵は土の神に、夕顔は水の神に結び付く呪力ある草花とされるからである。これが花相撲(はなすもう)の起源である。

 花を挿す相撲人に自分の花は見えない。それが見えるのは観客の側で、観客あってこその花である。今、花相撲とは、勝ち負けが番付の昇降や給金に関わりの無い相撲興行のことを言う。つまり巡業相撲、慈善相撲、追善相撲、引退相撲などを指す。それは観客による祝儀、観客の投げ入れる纏頭(はな)を期待しての興行である。興行に景気を付ける花吹雪も、紙纏頭(かみばな)あるいは紙花(かみばな)と書く。観客による「投げ入れ(銭)」の呼び水である。

 古い昔、力士たちは花の咲き乱れる野の中で、互いの技を競っていた。すなわち野相撲、原相撲、草相撲、芝相撲である。観客たちも周囲の芝に居て、相撲技や相撲踊、相撲人が唄う相撲甚句などを見聞きして楽しんだ。それが芝居(しばい)の語源である。芝居とは古い昔の娯楽場だった。今も支度部屋から土俵に向かう通路を花道(はなみち)と呼ぶ。相撲場へ向かう途中、相撲人も、ここで幸運を祈り路傍の草を結んだのである。

 

④割相撲

 草結の次は割相撲である。割(わり)とは取組のこと、割り振るとか割り当てるなどから派生した言葉である。対戦する力士の組み合わせ、取組の顔ぶれ、また対戦そのものをも割といった。すなわち組割、相撲割である。「割が合わない」とは、取組バランスが合わず不利なことを指す。

 この取組を作ることを、割を作るともいう。割役は定められた時間割の中で、初切(しょっきり)、飛びつき五人抜き、勝ち抜き戦、相撲踊、相撲甚句、土俵入りなどを行い、観客や参加者を飽きさせない工夫をする。そのような割役の努力により、相撲はいやが上にも盛り上がっていく。順々に取組を重ね、やがて中入(なかいり)となる。

 

中入

 中入とは、相撲や寄席、能狂言や歌舞伎において、中途の休憩を指す。法会においても中入はあり、法話の半ば、説教の途中で一旦休憩を取ることを言う。

 中入は客同士の交流の時間、土俵脇では楽しく酒を酌み交わす。激しい勝負、きわどい勝負、逆転の勝負、身振り手振りでその相撲の所作を真似る。みんな相撲解説者となり、思い思いの意見を述べ合う。熱が入り、興奮し、いよいよ会話は弾んでいく。それは大相撲でも隠岐の宮相撲でも同じである。このにぎわいこそが相撲の喜び、観客の連帯感を一段と深める。ひいきとなり、応援に結束し、笑いと歓声の渦が広がる。

 大相撲の中入りとは、十両の取組が終わり、幕内の取組が開始されるまでの暫しの時間で、取組が行われない時間帯を言う。寄席では中入前にも客が入るよう、その直前に格上の芸人を出す。それが「中トリ」あるいは「中入前」といい「大トリ」に準ずる芸人である。

 大相撲でも同様で、中入前に客が入るよう、ちょうど中入の間に、幕内力士や横綱の土俵入りを行う。また立行司または三役格行司による「顔ぶれ言上」と呼ぶ翌日の取組披露が行われる。「はばかりながら、明日の取組をご披露つかまつります」の口上に続き、割紙(対戦する両力士の四股名を相撲文字で書いた紙)を、東南西北に順に回覧する。それを呼出しが、さらに西南東北に回覧し披露する。そして再び行司が「右、相つとめまするあいだ、明日もにぎにぎしくご来場を待ちたてまつります」と口上を述べて終わる。

 隠岐の宮相撲も、やはり中入は神を前にしての祝祭のにぎわい、様々な催しを、この間に行う。中入の後は、また再び割相撲、飛びつき五人抜きが始まる。そして正五番、番々外三役、番外三役と進んで行く。土俵周辺の喧噪は一段と進む。最後の三役戦となり、とりわけ大関戦が近づけば、観客の興奮はもう最高潮に達する。