第Ⅱ部、隠岐の神相撲[第9章、神相撲の神事]

第9章、神相撲の神事(Ⅱー9)

 ①こずま(Ⅱー9ー①)

 ②鎮立(Ⅱー9ー②)

 ③中戸(Ⅱ-9ー③)

 ④関(Ⅱ-9ー④)

 

①こずま

 御旅所(会所)の広庭では、占手神事の横で、神相撲(こずま)神事が執り行われる。「うらて」も「こずま」も二人の少年によって行われる。「うらて」が14、5才の大童(おおわらわ)によって行われるのに対し、「こずま」の方は、7、8才の小童(こわらわ)によって行われる。こちらが子供相撲ゆえに小相撲(こずま)との説がある一方で、神への奉納相撲ゆえに神相撲(こうずま)との説もある。

 桟敷の舞台に、口に榊葉をくわえた小童が二人、手をつないで登場する。「うらて」と同様、紅白の褌に白足袋を履いただけの裸形である。一分方から3組、二分方から6組が出る。「こずま」の儀式は、手を腰に当て身体を左右に捻ったり、ぐるぐる腕を回したり、手を伸ばし相手の肩に手を載せたりする所作ごとである。また拝礼などを行い、口にくわえた榊葉を最後に落とし退場する。

 一分方の3組は同時に登場し、所作ごとを行う。前列から順に、鎮立(つんだて)、中戸(なかど)、関(せき)という。二分方の6組は順次に登場し、所作ごとを行う。やはり最初を鎮立(つんだて)、途中を中戸(なかど)、最後の直前を中戸中頭(なかどなかがしら)、最後を関(せき)という。

 

②鎮立

 占手による相撲場の祓い浄め、すなわち刀の礼、塩の礼、掬の礼、神相撲の礼があり、いよいよ本番の神相撲(こずま)に至る。そのような晴れの場で相撲を取るのは、鎮立と中戸と関である。鎮立は本来「ちんだち」と読むが、隠岐では訛り「つんだて」という。

 この鎮立、中戸、関とは、門衛の役割、宮や屋代や屋敷の戸を守る力人の謂いである。門の傍らに立つ「鎮立」、そして戸の中に立つ「中戸」あるいは「中立(なかだち)」、最後は関門の戸を護るため立ちはだかる「関戸(せきのと)」ということである。中立と関戸の名称は、今、大相撲の年寄名跡にも残る。いずれも元来は、門衛の力士を意味する語彙であった。

 鎮立とは、仁王立ちして外門を守る者のことである。義経の最後を守る弁慶の如きであろう。『義経記』巻八「衣河合戦の事」は「弁慶今は一人なり。鎧に矢の立つこと数を知らず。武蔵は敵を打払ひて、長刀を逆様に杖に突きて、仁王立に立ちにけり。ひとへに力士のごとくなり」と記す。力士は仁王立ちになって、門を守らなければならなかった。

 その仁王もまた門衛の神、飛鳥白鳳の昔、中門の両脇に仁王像は安置されていた。伽藍に侵入する仏敵を退散させる役割を果たす。天平時代に入ると、仁王は外門(南大門)の両脇に守備位置を変える。そして寺域全体を見守るようになる。門の左右に鎮まり立つ仁王とは、もともとは擾乱を鎮め秩序を保つ力者(力士)のことであった。

 

③中戸

 中戸とは、中門を守る者のことである。かつての相撲節会は、紫宸殿の南庭の、左近の桜、右近の橘の前で行われていた。相撲人が登場するのは、その南庭に面する東西の門からである。東の門は日華門(東の中門)という。左近衛府の陣(詰所)があったから左近陣と称される。西の門は月華門(西の中門)という。右近衛府の陣(詰所)があったから右近陣と称される。

 左右の近衛府の管轄下に、相撲人は集められ、東西の中門(日月の門)をくぐることで相撲節会は始まっていく。武良祭の日月の出合いと儀礼相撲は、この日月の門に関わっている。鄙の地で行われていた中世の放生会の儀式は、その芸能についても、相撲についても、この王朝の相撲節会に本源を発していた。

 もともと力士の役割は門衛で、門を守るため、彼らは門の傍らに控えていなければならない。だから中へは入れない。ゆえに「門入り」となれば大変な栄誉であった。節会饗宴の折、中門の辺りでは歌舞の奏演が行われる。中門口(田楽法師や千秋万歳法師)は、ここで「門誉め」しつつ踊り舞っていた。この中門における舞語り(踊り唄)の供覧と同様、中門における力の供覧こそが、相撲人の舞であった。中戸とは、そのような中門の戸の開閉に携わっていた力人の名称である。『古事記』天石屋戸の段で活躍する手力男命も、実はそのような御戸の傍らに立ちつくし、御戸の開閉を司る力人であった。

 

④関

 関とは、世間に広く知られる相撲人の呼称である。お相撲さん個人を呼ぶのに「○○関」と、関を付けて尊称する。また関は、大関、関脇、また関取などに含まれる馴染み深い相撲語彙である。その発祥は関所を守る門衛の意で、かつて関の戸の開閉を担っていたからである。東西の関、峠の関、四囲に広がる街道の関を、しっかりと守る力人で、道の守護神、国の守護神ということである。

 新たな支配者は力人を集め、衆の集う祭礼儀式の中で、彼らに服属の相撲を取らせていた。新たな政権の秩序の下に、彼らの力を組み込んでいった。力役に参勤させ、道を守り、関を守り、国を守る役割を、彼らに与えるのであった。

 力人の序列は、力の存在を衆に知らしめる。その力の支配が奈辺にあるか、衆に知らしめる。相撲とは力の秩序を示し、その秩序に従うよう、衆に教え諭すものであった。神仏習合放生会の芸能とは、賑わう境内での喧噪の中、新たに勃興してきた武士の力の秩序を示すもの、それは相撲節会で展開された王朝の秩序を、巧みに真似るものであった。