隠岐の相撲(26)

第Ⅲ部、隠岐の舞相撲

第6章、仮面の舞(Ⅲー6)

 ①獅子の仮面(Ⅲ-6ー①)

 ②獅子舞の伝播(Ⅲ-6ー②)

 ③西涼の伎楽(Ⅲ-6ー③)

 ④胡児人の舞(Ⅲ-6ー④)

 ⑤獅子から鬼へ(Ⅲ-6ー⑤)

 

①獅子の仮面

 獅子は行道で見る如く、治道の後を進み、伎楽を先導する。治道が先払いの善鬼となり悪鬼を払うように、獅子も悪鬼を払い悪霊を鎮める。獅子舞とは呪術舞で、大陸から半島を経由し伎楽と共に流入した。その獅子の仮面を獅子頭という。

 伎楽の行道は天平勝宝4年(752)東大寺大仏開眼にも行われた。このとき使用された獅子頭は、幾つかの伎楽面と共に、今も正倉院に収蔵されている。行列の有様は露払いの治道、そして師子(獅子)を先頭に、呉公という貴公子、呉女という美女、呉女に懸想する崑崙、崑崙を懲らしめる力士(金剛)、そして霊鳥の迦楼羅(かるら)、印度の婆羅門、また太孤父や太孤児、酔胡王や酔胡従などで構成される。これらが楽器の伴奏でパントマイムを演じつつ行列(行道)する。

 治道や酔胡王や酔胡従は、鼻高く眼の深い西域人(胡人)で、師子(獅子)も、その西域からやってきた。日本語の獅子(シシ)は、中国語の師子(シーツィ)からきている。古代ペルシャ語や印度のサンスクリット語では、獅子はシンハといった。これらはアルファベットで言えばS系の名称である。西方のスフィンクス(獅子身の霊獣)も言葉の上からは同根で、伝来が遡及できる。附言すれば、チベット語ではセンゲ、韓国ではサジャ、沖縄ではシーサー、インドネシア語ではシンガである。シンガポールの地名もサンスクリット語で獅子の島という意味である。印度の南、セイロン島(スリランカ)も獅子の国という意味である。紀元前600年頃、北印度のシンハラ族が南下してシンハラ王朝を建てたのがスリランカの始まりで、このシンハラとは獅子の子孫という意味である。スリランカの国旗に獅子が描かれているのは、このためだという。

 スリランカシンガポールはもちろんのこと、インドネシアベトナム、中国、台湾、韓国、日本と、祭礼における獅子舞は、アジア全域に広く普及している。

 

②獅子舞の伝播

 獅子そのものを知らずとも、獅子舞の方は皆知っている。芸能は人から人へと伝わっていくが、その喜びと楽しさと嬉しさとを携え伝わってきた。『枕草子』は法興院の積善寺で一切経の供養会があった折、大門のところで高麗や唐土の楽が奏され、獅子や狛犬(こまいぬ)が踊り狂っていたことを記す。獅子の姿で舞う左方舞(唐楽)の蘇芳菲(そほうひ)と、犬面を被った子役二人が舞う右方舞(高麗楽)の狛竜(こまりょう)であろう。清少納言は「ものもおぼえず。こは、生きての仏の国などに来にけるにやあらむ」と、生きて極楽浄土に在るかのような、まさに天にも昇る心地で、この強い感動を書き留めた。

 狛犬(こまいぬ)とは高麗(こま)犬のこと、高麗に伝わり変化した獅子のことである。『三国史記新羅本紀、智證王13年(512)には、もうすでに獅子舞についての記事が載る。異斯夫(いしふ)という将軍が于山国(鬱陵島)に渡り、木製の獅子で島民を恐怖させ、島を征服したというものである。篝火の中で獅子面を被り、踊り狂えば、そして太刀を煌めかせ振り回せば、島民ならずとも震え上がるであろう。

 『三国史記』雑志(楽)には「師子伎」も記される。真興王12年(551)伽耶出身の于勒が作る伽耶琴十二曲の一曲である。伽耶琴が奏される中、獅子舞が舞われていた。そのような獅子の芸能は、当然、獅子の棲息する西方から伝わってきたものである。

 

           《狻猊》崔致遠 

     遠く流沙を渉り    万里の道を来たり

     その毛衣は尽く破れ  ただ塵埃を看るのみ

     頭を揺らし掉尾を振り 仁徳に馴るるも

     雄々しき気迫は 寧(いずくん)ぞ百獣の才に同じからん

 

 狻猊(しゅんげい)とは獅子のことである。たとえ訓育されようと、なお百獣に冠たるの気迫を示す。作者の崔致遠は新羅末期の文人、号は孤雲または海雲である。その「郷楽雑詠」は、金丸、月顚、大面、束毒、狻猊の五伎(五つの遊び)を詠う。散楽百戯に属する遊びで、狻猊もその一つで、獅子児に訓育された獅子の見世物であった。

 

西涼の伎楽

 唐代の詩人、白楽天(白居易)も、また獅子についてを詠う。白楽天の詩は、作り物の獅子と、紫髯深眼の仮面を被る二人の獅子児が、鼓舞跳梁するさまを映す。これは獅子舞と獅子児舞の舞模様である。

 

          《西涼伎》白楽天

       仮面の胡人、仮(いつわ)りの獅子

       木を刻んで頭と為し、絲で尾を作る

       眼晴に金を渡し、歯に銀を帖(は)る

       奮迅の毛衣は双耳を擺(はら)う

       流沙より万里を来たれるが如し

       紫髯深目の両胡児

       鼓舞跳梁と前(すす)みて辞を致す

         (以下略)

 

 西涼とはシルクロードの重要な一国、その中心都市は敦煌である。今の中国甘粛省の西部にあった国である。その西は玉門関で、そこから先がタクラマカン砂漠となる。西涼の伎楽は、さらに西からの伝来である。これが荒涼流沙のタクラマカン砂漠を越え、東の中国へ、そして東の朝鮮へ、さらに東の日本へと、もたらされた。

 この砂漠を往復した玄奘の『大唐西域記』は、砂漠のオアシス国家、屈支国(亀慈国)を「ここの管弦伎楽は特に諸国に名高い」と紹介する。亀慈国(クチャ)の楽舞は「亀慈楽」といい、唐代礼楽の一つに数え上げられる。すでに随の七部伎に亀慈部として有るから、南北朝から随代にかけ、名高い亀慈楽はもう存在していた。

 亀慈楽の中に素晴らしい獅子舞があることは、唐の段安節の『楽府雑録』や、また『唐書』の伝えるところである。平安末期に描かれた『信西古楽図』は、この『楽府雑録』から引いたものとして獅子舞の図を掲載する。それが日本の獅子舞のルーツであると紹介する。日本の獅子舞は、だからシルクロードの国からの渡来で、その亀慈楽の獅子舞は、さらに西からの伝播であった。菩薩蛮(ムスルマン)の舞と共に、その西方から渡り来た。

 

④胡児人の舞

 獅子児とは、獅子あやしの童子のことである。獅子が西方から伝わって来たように、この獅子児も同じく西方からやって来た。獅子児とは西方の人、つまり胡児人なのである。唐代の詩人、劉言史の『王中丞宅に夜胡騰を舞うを観る』は、その胡児人の舞(胡騰舞)が、どのようなものであったかを詠う。

 

    《王中丞宅に夜胡騰を舞うを観る》劉言史

       石国の胡児人の見ること少なく

       樽前に蹲舞して急なること鳥の如し

       織成の蕃帽、頂尖は虚しく

       細氈の胡衫、雙袖小なり

       手中より抛下す、葡萄の盞

       西顧して忽ち思う、郷路の遠きを

       身を跳らせ、轂の転ずるが如くにして宝帯は鳴り

       脚を弄すると、繽紛として錦靴は軟らかなり

       四座は言無く、皆目を瞠はり

       横笛琵琶、頭を徧ぐらして促す

          (以下略)

 

 石国とは今のウズベキスタンタシュケントシルクロードの一大中継拠点である。タシュケントとは「石の街」を意味する。石国から来た童児は、打ち鳴らされる樽の前で、見事な蹲舞、踏舞、騰舞などを演じていた。童子の素晴らしい技芸に、囲む四座、宴席の人々は言葉も無く目を見張る。興は尽きず、奏でる横笛琵琶も、なお童児に舞い続けることを促す。胡騰舞とは西胡の少年が演じる跳躍舞を指す。これに対し胡旋舞とは西胡の少女が演じる回旋舞を指す。いずれも跳躍し旋回する舞である。観る者すべて、その舞を心から楽しんでいた。

 このような獅子児の舞は、獅子舞と同様、唐を経由し我が国に伝えられた。正倉院には幾つかの伎楽面が残り、そのうち師子児の面も15ほどある。祝祭の折には、獅子舞と獅子児の舞が、興奮と喜悦の中で行われた。

 

⑤獅子から鬼へ

 獅子舞と獅子児の舞は、獅子のいない中国において、いつしか変化を見せる。勇敢で強壮、それゆえに魔を払う霊獣たるの一面と、凶暴にして危険な猛獣たるの一面との、両極への分化である。それは善悪をもたらす鬼神の概念にも重なっていく。邪霊や悪疫を祓う霊獣としての獅子は善鬼(善神)であり、害をなす猛獣としての獅子は悪鬼(悪神)である。

 霊獣たる善鬼の獅子舞は、そのまま残った。一方、悪神の獅子舞は大きく変化する。もともと中国には、いや中国に限らずとも人の住むところには、必ず悪霊はいる。人間に害をなすものを悪霊と呼んでいたからである。そのような悪霊の象徴として、不気味な呪物が作られていた。これと獅子とが結び付く。それが魌頭(きとう)である。魌頭は大きな目玉をひん剥き、牙を光らせ口をいっぱいに開け、何ものをも食い殺すような容貌を持つ、醜く恐ろしい鬼面である。すなわち獅子頭である。これにザンバラ髪を付け、村の堂や祠に安置して守り神とした。獅子の善神としての一面である。また雨乞いや火伏せなど、水に関係する願い事をも、この魌頭の前で唱えたという。この魌頭を被り物にして、仮面舞踊が行われていた。獅子舞の変容、亜型である。

 この魌頭の風習は日本にも伝わり、鬼やらいの儀式となる。四つの恐ろしい金色の目を描いた「方相氏」の面は、あきらかに魌頭の一種と見られる。角を持つ鬼(牛鬼)の登場は、力ある獅子と力ある巨牛との融合であった。獅子舞は、いつしか牛鬼舞となるのである。獅子児の舞と角觝(相撲の舞)とは、だから深い関わりがある。