隠岐の相撲(34)

第Ⅳ部、隠岐の原相撲

第5章、闘技の価値(Ⅳ-5)

 ①力くらべ(Ⅳー5ー①)

 ②力の証明(Ⅳー5ー②)

 ③力の遊び(Ⅳー5ー③)

 ④共同体の規制(Ⅳー5ー④)

 ⑤競技の規則(Ⅳー5ー⑤)

 

①力くらべ

 格闘技「力くらべ」とは何なのか。最初に考え付く理由は、なんと言っても「力の誇示」である。素手で動物を仕留める、素手で相手を倒すなどは、周囲に、その力を見せつけるものである。原始社会(バンド社会やホルド社会)にあっては、それは単なる力ではない。強い意志、逞しい肉体、健全な身体、そして胆力や忍耐力、厳しい環境の中でも充分に耐えていけるだけの生命力、その確かさの証明であった。

 そのような力を示す若者ならば、娘の結婚相手にふさわしかった。娘に、その親兄弟姉妹に、その他の親族に、そして地域社会に、彼は立派な男として認められた。それは他人に向けたものばかりではない。自分自身に対しても、また「力を誇示」するものである。自らの強さを自分自身に示し、その存在証明とするのである。

 格闘技で「強くなる」こととは、他人に対し「強くなる」ことばかりではない。おのれ自身に対して「強くなる」ことでもあった。努力を重ね、修練を積み、技を磨き、耐えに耐えて勝利をもぎ取る。それは己を知り、他者を知る作業である。

 格闘技修行を幾年も続け、それなりの実力を持つようになると、確かに相手の立場に立って思考できるようになる。格闘技の価値、その修行の価値とは、人間を磨き上げることなのである。その身体文化は身体にとどまらず、新たな境地の精神文化を作り上げる。高邁な精神を、より高い天空へと飛翔させるのか、その深遠なる知性を、叡智の大海に、より深く沈潜させるものなのか、いずれにせよ、己の意志をより堅固なものへと進展変化させることだけは事実である。

 

②力の証明

 力の誇示は、他人に見せるため、己に見せるため、そして神に見せるために披露された。古代エジプトでは、ナイルの神に格闘技が捧げられていた。ベニ・ハサンの岩窟墳墓の壁画や、プタハ・ホテップ墓のレリーフなどに見る通りである。

 ホメーロスの『イリアス』第23書(パトロクロスの葬儀の場)にも、格闘技の情景が歌われる。戦の神アテナに捧げられるもので、エペイオスとエウリュアロスとの格闘があり、アイアースとオデュッセウスとの格闘がある。神の前で、己の力を披露するもので、古代オリンピックも、その通りにオリンピアの神々に、その競技は捧げられていた。

 神々の前で披露される「力の誇示」とは、その全てが格闘しながらの喜悦、心の飛翔、忘我の境地へと至らせるものだった。そして勝利を得たとなれば、相手からの敬意、衆の賞賛、さらには己に対する誇り、己の存在意義の再確認があった。それを自覚する己の心を、また覗き込むという自らの眼差しにも気付いていく。

 力の証明は、何も格闘技だけに限定されるものではない。狩猟社会では獲物を仕留めればよい。農耕社会では、埋もれた大石を運び出し、土をならし、畑の開墾ができればよい。それぞれが集団を維持発展させるためのもの、食料増産へと向かわせる力だった。そのための体力保有、精神力保有の証明なのであった。若者の力を試す通過儀礼(イニシエーション)の意味は、ここにある。それを証明することで、一人前の若者、立派な大人として、周囲に認められていく。各地に伝わる力石伝説、石運び伝説、成長する石伝説は、抱えきれぬ石を敢えて抱き抱えて運ぶ物語である。その昔、若者たちは、力を試され、それに正しく応えていた。

 アトラスの神話も、シジフォスの神話も、耐え抜く力の証明物語であった。その力の証明は、世界の存続にも関わってくる。力が証明できなければ、世界は覆る。転がり落ちるのである。「鼎の軽重」が問われるのは、ここである。

 

③力の遊び

 さて幼子が成長を遂げる間、親は子の力の増進を図る。そのような親の姿は、昔も今も変わらない。塾通いさせ学力が付くことを願う。野球教室やサッカー教室に通わせ、体力技術が付くことを願う。原始社会にあっても同じこと、やはり我が子の力のトレーニングをする。日々に重ね行い、年余にわたり続けるという力の鍛錬法があった。

 そのもっとも簡単な方法は、親の身体を押させること、親の身体を動かすことである。その手にしがみ付き、その足にしがみ付き、動かそうとする。少し成長すれば、その腹を押し、尻を押し、腰を押す。さらに成長すれば、その胸を借りる。親が少しでも動けば、もう大喜びである。もちろん親も大喜びである。互いにその達成に喜悦する。

 子の力のトレーニングは、親ばかりが担うものではない。その兄たちも、年長の従兄弟たちも、その地域の子供社会の年長組も、それぞれが指導役を受け持った。幼子を含め、年上が年下を鍛える。それは押し合って喜び遊ぶもの、喜悦の中で学ぶものだった。「押しくらまんじゅう、押されて泣くな、‥‥‥‥」と、楽しく嬉しく、また時には泣く子も出るような、にぎやかな遊びだった。ここでは年上が年下を庇護する。押し合っては、わざと負けてくれる優しい「お兄ちゃん」もいる。だが、いじめっ子、いじめられっ子、痛めつける子、痛めつけられる子、強い子、弱い子、べそをかく子、どこの子供社会にもいる。

 

④共同体の規制

 人々の集団生活の中では、その子供たちに対する監視の目は光っていた。不慮の事故に遭わぬよう、危険な遊びに踏み込まぬよう、子供を庇護する大人たちの体制があった。だから子供たちの遊びの中でも、そのいたずらの中でも、おさな児を保護するルールは育っていた。死に至らしめるような、不虞不能に至らしめるような、重大な怪我を負わせるような乱暴は、しっかりと抑制されていた。

 子供たちの中で、力くらべ、わざくらべ、倒し合いなど、様々に遊び合っていても、やはり危険に踏み込まぬよう、怪我に至らぬよう、子どもたち自身、自ずから抑制が掛かっていた。万が一、危険性が予測されるような事態があれば、たちまち大人たちが出てくる。そして、やり過ぎた子供に手ひどい罰を与える。それゆえ子供たちは成長過程で、このルール厳守をしっかりと叩き込まれていた。

 ルールを守るとは、共同体の規制に従うということである。子供たちは遊ぶ中で、大人の監視を受け続け、ルール厳守をしっかりと身に付けていた。子供同士でも、また互いの監視があり、子供ながらに自己規制する知恵を身に付けていた。子供たちは、社会の規制の中で、社会とうまく付き合うことを、この遊びの中で学ぶのである。

 子供時代に学ぶルール、大人の前でのルール遵守は、やがて大人になった後、神の前でのルール遵守に連なるものである。人々は生きる限り、常に神の監視(共同体の規制)を受けるのである。

 

⑤競技の規則

 力の競技は、ただ相手を倒すということだけに専念するものではない。ルールを決め、そのルールの中で勝敗を競うものである。だからルールに違反すれば、それは神の意に染まぬ行為、すなわち共同体の意に染まぬ行為となる。たちまち試合の場(神の広庭、共同体の広場)から遠ざけられる。つまり失格ということになる。

 己の力、己の勇気を示すには、素手こそが最善で、その素手による格闘技は、神の意にかなうものであった。武器を携えぬ競技であるから、相手に致命傷を与えることはない。共同体の損失は無いからである。裸体あるいはそれに近い姿での競技とは、身に一切の武器を携えないということの証明である。膂力を以てのみ闘うということの強い宣言でもある。それゆえ裸と裸のぶつかり合い、その力の衝突は、まさに格闘技の花であった。

 この力の競技は、単に押す力を競うものではない。押すことを競うとなれば、押し出す領域を最初から設定していなければならない。つまり土俵の如きものが、最初からなければならない。だがモンゴルのブフもコリアのシルムも、そのようなものは無い。そして日本の相撲にしても、その原初の姿に土俵などはない。つまり押し込むだけでは勝利とはならない。

 格闘技において、勝敗を決するものとは何なのか。力ある者が、力あると認められるには、いったい何が必要であったのか。それは実のところ、相手が立つことを許さぬものであった。つまり立ち尽くすことが出来るものが勝者であった。倒れることなく、いつまでも立ち続けることこそが勝利であった。投げ飛ばされ、地に這うものは敗者である。ひざまずき、手を付き、屈服する姿勢、それが敗北であった。さらに仰向けに転がり、最弱点の腹部と咽頭とを相手に曝すことは、もしも戦闘員として出陣するなら、攻撃を受け致命傷を負う。もう決定的な敗北の姿である。そのような状態に対し、負けが宣言される。