山陰沖の歌の語り(5)

第1章、歌語りの発生

 第5節、鄙(ひな)の歌語り(1ー5)

 出雲の海の民は、その「北の大海」を縦横無尽に駆け抜け、各地、各港を、渡り継いだ。そこは、出雲からすれば鄙(ひな)の地、天離る(海離る)鄙の地であった。

 

    天離(あまざか)る 鄙(ひな)つ女(め)の い渡らす迫門(せと)

         石川(いしかわ)片淵(かたふち)

    片淵に 網張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 

         石川(いしかわ)片淵(かたふち)       (日本書紀

 

  《歌意》遙かな海路を進んだ鄙の地、その鄙にいる乙女が渡るという川の迫門、

   それが石川の片淵である。川の片側が淵になっていて深いから、そこに魚網が

   張り渡してある。その漁網を引き寄せ、網の目が魚を捕らえるように、鄙の乙女

   を引き寄せ、捉えたい。この石川の川淵に、乙女よ寄って来い。その美しい瞳を  

   見開き、ここに寄って来い。この石川の川淵では、恋の出会いがある。

 

 これは夷曲(ひなぶり)の歌、古昔の地方歌(民謡)である。田舎風ゆえに鄙振と

 も夷振とも記される。だが鄙の女を歌った歌だから、その歌頭(歌首)の文字から

 鄙曲としたともいう。夷曲の歌は二段構成になっている。しかも、その前段と後段の

 末尾が「石川、川淵」の同句となり、繰り返しての韻を踏んでいる。これは、歌い手が聞き手に歌い掛け、聞き手からの返答を待たず、土地の名つまり「土地誉め」を行うものである。そして前段を承け、同じく後段をも歌う。つまり問い掛けを繰り返し、その都度「土地誉め」をするという進行である。これによって歌物語(語り劇)が進行する。歌語りの様式は、運輸交流によって、その交流人によって、嬉しく楽しく伝えられていった。

 

    沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も 与はぬかもよ 浜つ千鳥よ

                               (日本書紀

   《歌意》沖の藻は浜辺に寄って来るが、私が愛しく想う女は、私に寝床も与えず

    寄って来ようともしない。浜の千鳥よ、つがいでいるお前が羨ましい。

 

 港々を渡り継ぐ船乗りたちは、その折々で女をくどく。わりない中になることもあれば、袖にされることもある。その面白さが、こうして歌われる。