山陰沖の歌の語り(11)

第2章、水辺の歌語り

第3節、海の若子の物語(2ー3)

 海原を流れ来る娘子の物語に対し、海原を越え行く若者の冒険物語も、また歌に語られる。『古事記』には、火遠理(ホヲリ)またの名を穂々手見(ホホデミ)という若者の、海神宮への訪問譚が載る。勇気ある冒険によって、力と富貴と美女を得るという話である。この話は、さらに海神の娘(豊玉姫)との結婚譚、そしてウガヤフキアエズ神武天皇の父)の生誕という展開になる。歌語りであり、ここに掛け合い歌が展開する。まずは女歌(豊玉姫の歌)が歌われ、続いて男歌(穂々出見の歌)が歌われる。

 

  赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装(よそひ)し 貴くありけれ

 

《歌意》赤い玉は、それを貫いた緒までも光るほどに美しいものです。ですが、それにも増して美しいのが白玉で、その白玉のような気高く立派な貴方様のお姿を、貴く恋しく私は思います。

 

  沖つ鳥 鴨着く島に 我が率寝(ゐね)し 妹(いも)は忘れじ 世のことごとに

 

《歌意》沖の鳥である鴨が寄り着くような島で、私が共寝した愛しい人よ。あなたのことを、私はいつまでも忘れない。私が生きている限り。

 

 豊玉姫による玉の霊力(珊瑚の赤玉と真珠の白玉)とは、海の富貴を意味する。それに対する穂々手見とは、豊かな稲作の象徴で、陸の富貴である。この海陸の富貴の聖婚によって、国土は繁栄するという話である。そして、この掛け合いの歌は、古い昔、海浜で行われていた歌垣の歌で、そこに参加する人々の、神事たる聖婚の歌であった。

 

 海の富貴を求める聖婚の旅は、また浦島物語でも展開する。『丹後国風土記逸文』には、与謝郡日置里の人、筒川の嶋子による異界神婚譚が載る。嶋子が仙界(海中の蓬莱山)から帰郷すると、すでに三百年が経過していた。知る人は誰も居らず、寂しさのあまり、亀姫から手渡されていた玉櫛笥(たまくしげ)を、嶋子はつい開けてしまう。その結果、亀姫に再会は、もう叶わなくなってしまった。絶望する嶋子の声、その声に重なるよう、いずこからか和するよう、響き合う亀姫の声があった。その掛け合いの歌である。

 

  常世べに 雲立ち渡る 水の江の 浦島の子が 言(こと)持ち渡る

 

《歌意》遙か常世の彼方に(大海原の彼方に)雲が立ち、棚引いている。この私、水の江の浦島の子の言葉に呼応し、その雲は沸き立ち、棚引いている。

 

  大和べに 風吹き上げて 雲離れ 退(そ)き居りともよ 吾(わ)を忘らすな

 

《歌意》大和の方に風が吹き上げ、雲が離れていくように、私と、もう遠く離れてし 

まいましたが、どうぞ私を忘れないでください。

 

 これは丹後国における歌ではない。摂津の住吉、その水江の浦島児の歌にふさわしい。摂津なればこそ、大和への風に乗り、大和川を遡ることができた。だから『万葉集』に載る浦島譚の影響を、これは受けている。『丹後国風土記逸文』は、鎌倉末期成立の『釈日本紀』に残るがゆえ、この歌は明らかに後年の作である。住吉の浦島児という話が、もうすでに普及していたからであろう。では『万葉集』の浦島譚において、玉櫛笥を開けてからの歌語り部分を見てみよう。

 

   玉櫛笥少し開くに 白雲の箱より出でて 常世辺に棚引きぬれば

   立ち走り叫び袖振り 臥(こ)いまろび脚ずりしつつ たちまちに

   心消失(けう)せぬ 若くありし肌も皺みぬ 黒くありし髪も白けぬ

   ゆなゆなは息さへ絶えて 後つひに命死にける 水江の浦の島子が

   家ところ見ゆ                  (万葉集 1740)

 

《歌意》玉櫛笥を少しばかり開くと、白雲が箱の中から、むくむくと出て来て、常世の国の方へ棚引いていった。びっくりして立ち上がり、走り回り、叫びつつ袖を振り、転げ回っては地団駄を踏んだ。そして急に意識を無くしてしまった。若々しかった肌も皺だらけとなり、黒かった髪も真っ白になってしまった。そしてそのあと、息も絶え絶えとなり、あげくの果て死んでしまったという。その水江の浦の島子の家のあった跡が、そこに見えるのである。

 

 高橋虫麻呂による歌語りである。幻想の世界へと聴衆を誘うもの、その語りの場、宴席とは、まさに拍手喝采を求める古代の演芸場であった。虫麻呂の語りは、話の展開を劇的に語るもの、もうすでに洗練されている。だが『丹後国風土記逸文』に載る歌の方は、男女の掛け合い歌である。歌垣で歌われていた唱和歌の伝統を、これは引き継ぐもの、なお古層の面影を残す。