山陰沖の歌の語り(14)

第2章、水辺の歌語り

第6節、恋愛歌から悲恋歌へ(2ー6)

 人麻呂は恋する人との別離の歌も歌う。石見国の官人となり、この国に赴任した彼は、美しい娘子と出会い、恋に落ちた。だが官に仕える身である。任を終え、いざ帰京となれば、こよなく愛した石見娘子とも、もう別れねばならない。そこに私情をはさむ余地はなかった。だが別れたくは無い。なおも残す未練、その引き裂かれる辛い思いに、思わず歌が口に出る。

 

       つのさはふ 石見(いはみ)の海の 言(こと)さへく  唐の崎なる  

    海石(いくり)にぞ  深海松(ふかみる)生ふる 荒磯(ありそ)にぞ
      玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松(ふかみる)の
      深めて思へど さ寝し夜は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦の
      別れし来れば 肝(きも)向ふ 心を痛み 思いつつ    ‥‥‥‥                            

                             (万葉集 135)


《歌意》石見の海の唐崎、その海中の岩礁には深海松(松のような海藻)が生えている。その荒々しい磯には玉藻が生えている。その玉藻のように揺れ靡き、私に寄り添い寝ることとなった愛しい人を、その深海松のように深く深く、私はいとおしく思っている。それだのに、共寝した夜はいくらもないと思うばかりに、なおも未練を残している。その激しい愛の思いを、這う蔦が絡みつくのを一つ一つ外すようにして、ようやくのことで別れてきた。だが私の心は、この別離の苦痛に耐えられず、ますます悲しく辛い思いでいっぱいである。

 

  人麻呂が愛した人は、揺れる玉藻の如く、彼に靡き、常に寄り添っていた。共寝する彼女は、まるで水の精のように美しかった。人麻呂は石見国府の官人として、日々、この石見の海を見て過ごしていた。石見娘子との別離とは、この石見の海との別離でもある。それは、やはり揺れる玉藻、乱れる沖つ藻の、美しい海なのであった。

 

    石見(いはみ)の海 津の浦をなみ 浦なしと 人こそ見らめ

    潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも

    よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して

    和田津(にぎたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる

    玉藻(たまも)沖つ藻 明け来れば 波こそ来(き)寄れ

    夕されば 風こそ来(き)寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄り

    玉藻なす 靡(なび)き我が寝(ね)し 敷栲(しきたへ)の

    妹(いも)が手本(たもと)を 露霜(つゆしも)の

    置きてし来(く)れば ‥‥‥‥        (万葉集 138)

 

《歌意》石見の海は、大船を停泊させる程の浦が無いので、良い浦は無いと人は思うかもしれない。良い潟が無いと人は思うかもしれない。だが、たとえ良い浦が無く、良い潟が無くても、巨大な魚の取れるほどの大海原を越え、この海辺、豊穣の田の広がる津を目指せば、沖合にある荒磯の辺りで、海中に青々と生い茂る美しい玉藻、美しい沖つ藻が見えてくる。その藻は、朝が明けたならば波に打ち寄せられ岸辺に寄って来るであろう、夕べが来れば、風によって吹き寄せられ、立つ波によって、あちらこちらに揺れ動くことであろう。その寄せる風波のままに、寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように、私に寄り添い、共寝した愛しい娘子、その手枕を交わした愛しい子の手を、冷え冷えと露霜が降りるように、寂しく石見に置き去りにして来てしまった。

 

 恋人との別離、思いを残しての別離である。恋歌ではあるが、恋の喜びを歌う歌ではない。悲しい別れの歌で、悲歌(エレジー)の一種、悲恋歌である。単なる恋歌よりも、さらに心に深く染みいるもので、それゆえに、いっそう、聴衆の涙を誘った。