山陰沖の歌の語り(12)

第2章、水辺の歌語り

第4節、唱和歌から旋頭歌へ(2ー4)

 歌垣で歌われた掛け合いの歌、それは問答歌であり唱和歌である。人麻呂は、歌垣の宴で歌われた唱和歌の伝統を承け、 引き継ぐ形で旋頭歌を歌う。

 

    住吉(すみのえ)の 小田(おだ)を刈らす子 奴(やっこ)かもなき

    奴(やっこ)あれど 妹(いも)がみために 私田(わたくしだ)刈る

                           (万葉集 1275) 

 

《歌意》住吉の小田を刈っているお若い方、あなたに替わって立ち働く奴さん(下男)はいないのね。

いやいや奴(下男)はいるけど、可愛い娘子のため、その家の私田を刈っているのさ。

 

 

 これは掛け合いの歌で、まずは身近な労働歌に、その歌材を採っている。対話する男女の掛け合いで、女歌に男歌が呼応するという形式である。人麻呂若年の頃の作で、まだ習作を試みるという段階にあった頃の作である。この時期、彼は様々な民謡歌、歌垣歌を、自らの内に取り込んでいた。

 さらに人麻呂が歌っていったのは、その唱和歌の形式(詩形)を残す一人歌である。歌い掛けては、それに自らが応えるという形式で、自問自答、自己対話、自らへの質疑応答の歌である。

 

    春日すら 田に立ち疲れ 君は悲しも

    若草の 妻なき君し 田に立ち疲る      (万葉集 1285)

 

《歌意》村人がみんなで春山に出かけて遊ぶという、この春の日でさえ、あなたは田に立って働き、疲れ果ててしまうなんて、おかわいそうに。

若草のような可愛いお相手が、あなたにはいないのね。だから田に立って働き、疲れ果ててしまうのね。おかわいそうに。 

  

 歌材は同じく、身近な労働歌である。その労働を休む春の歌垣の日、その祝祭の折に歌われた歌であろう。歌垣の場に呼び入れようと、歌による誘い込み、歌による呼び掛けである。その歌の語りの中に、声の掛け合いがあり、誘いの畳み掛けがある。

 

       新室の 壁草苅りに いまし給はね
    草のごと 寄り合うをとめは 君がまにまに   (万葉集 2351) 

 

《歌意》今新しく建てている家の、壁草を刈りにいらっしゃいませ。

その草がなびくように、相寄る娘子は、あなたの思し召しのままですわ。

 

    新室を 踏み鎮め子し 手玉鳴らすも

    玉のごと 照らせる君を 内にと申せ      (万葉集 2352)

 

《歌意》新しく建てている家で、踏み鎮めの舞を舞う娘子よ、その家を平(な)らす     よう、その舞の手で手玉を鳴らしなさい。そのような舞の仕草の中でも、玉のように照り輝くお方(婿殿)が、いらっしゃれば、さあ、どうぞ内に入って下さいと、そのように、さっそく申し上げよ。

 

 これら二つの歌は、新室祝(にいむろほぎ)の歌で、家屋繁栄の歌、新婚初夜の歌である。前者(2351)の歌は、草の刈り取り、草と土の混ぜ合わせによる壁の塗り固め、そして草による屋根葺きという労働歌を踏まえる。その用いた草は、靡き馴染み、やがて相応しい家屋として、家と一体となって出来上がっていく。そのように家刀自となる私は、貴男に靡き馴染みます。どうぞ、あなたのお心のままに、というものである。後者(2352)の歌は、家の建つ土地霊と、その家の家屋霊(屋敷霊)を鎮め、無事息災、夫婦円満、照り輝く生活を願うという歌である。そのような願わしい家の中に、新婦となる私の中に、どうぞ入って下さい、良い家庭が出来ますよと、新郎に申し上げよと、新婦に言い聞かせるものである。

 男女の豊かな情味を歌い上げつつ、家運長久、子孫繁栄へと繋げていく。素晴らしい予祝の旋頭歌が、ここに一対となって、人麻呂によって歌われている。新室祝として、その宴席を飾る歌語り、宴席の参列者の喜悦を誘う歌語りである。試行錯誤を繰り返し、様々な歌語りの手法を模索していった若き日の人麻呂の姿を、ここに見ることができる。