山陰沖の歌の語り(13)

第2章、水辺の歌語り

第5節、労働歌から恋愛歌へ(2ー5) 

 人麻呂は、その歌才をもって労働歌を歌い語った。働く中で、さらに次々と、愛の歌、恋の歌を歌い語った。

 

    長谷(はつせ)の 斎槻(ゆづき)が下に 我が隠せる妻
    茜(あかね)さし 照れる月夜に 人見てむかも    (万葉集 2353)


《歌意》初瀬の弓月が嶽の下に 私が人目に付かぬよう隠している妻が居る。

茜色に照らす月の夜であるから、その美しい妻を、ふと人が見てしまうのではないか。

 

    ますらをの 思い乱れて 隠せる其の妻
    天地(あめつち)に 通り照るとも 顕れめやも    (万葉集 2354)
 

《歌意》堂々たる男子が、千々に思い乱れ、つい大切に隠すことになった妻がいる。

月の光が天地を貫き通し、周囲を照り輝やかせようとも、その妻の存在が露見することなど、あろう筈がない。

 

 前者(2353)の歌も後者(2354)の歌も、ともに前半のフレーズと後半のフレーズは、もはや別人が歌う歌ではない。これは自問自答の歌、自己対話の歌である。自らの心の裡で、己に対し歌い掛ける(語り掛ける)歌である。それが二重構造の前後一対となって「隠し妻」の物語を紡ぎ出す。歌としての手法に一段の進歩がある。

 歌の語りによる物語、聴衆を意識した歌の物語である。月見の宴で披露されたものでもあろうか。その物語歌の世界に、聴衆は楽しく深く、酔いしれたに違いない。