山陰沖の歌の語り(16)

第2章、水辺の歌語り

第8節、歌語りの作者(2ー8)

 人麻呂の愛と死の物語は、披露の先々で、人々の涙を誘った。その歌語りは、人々の興趣を掻き立てたから、さらに繰り返しての、その披露が求められた。さらに同種の物語が、人々の求めに応じ、彼の口から語り出された。

 

   秋山の したへる妹(いも) なよ竹の とをよる子らは

   いかさまに 思ひ居(を)れか たく縄の 長き命を 露こそは 

   朝(あした)に置きて 夕(ゆふべ)は 消えゆと言へ 霧こそは

   夕に立ちて 朝は 失すと言え   ‥‥‥‥      (万葉集 217)

 

《歌意》秋山のように美しく照り映える娘子(吉備の津から献上された采女)は、なよ竹のようにたおやかなあの子は、どのように思ってなのか、楮(こうぞ)の白縄のように美しく長い筈の命を、突然に断ち切ってしまった。露ならば朝に置き夕べには消えると言うが、また霧ならば夕べに立ち朝には消えると言うが、そんな露や霧でもないのに、あの子は儚(はかな)く、この世を去ってしまった。

 

 川に身投げする「吉備津采女」の歌である。吉備の津から天皇に献上された采女、それは天皇に仕えるだけの女である。だがその禁制を侵し、天皇ならぬ或る男子と、密かに愛し合ってしまったのである。どうにもならぬ身を嘆き、ついに入水に至ったという悲恋物語である。その詩情あふれる、こまやかな人麻呂の語り口は、人々の心を捉えて離さない。

 そのような素晴らしい憂愁の悲歌は「溺れ死にし出雲娘子」を悼む歌でも、また歌い語られる。物語は、吉野川への身投げ、その亡骸は荼毘に付されるという展開を見せる。だが人麻呂の趣向は、火葬の時点から遡り、その身投げのさまを歌うことで、時間軸を逆転させる。そして、やはり采女に負わされた禁忌、男との密会が露見したであろうことに、聴衆の意識を向ける。ここに悲恋物語の遡る山場を見せる。

 

   山の際(ま)ゆ 出雲の子らは 霧なれや 吉野の山の 嶺に棚引く

                             (万葉集 429)

《歌意》山合いから湧き出る雲、その雲のように美しい出雲の娘子(出雲国から献上された采女)は、あの儚(はかな)く消え去る雲霧でもあったろうか。いや、そんな筈は無いのに、今や荼毘に付され、その煙は立ち昇り、もう吉野の山の嶺に棚引く雲や霧となってしまった。

 

   八雲さす 出雲の子らが 黒髪は 吉野の川の 沖になづさふ  

                             (万葉集 430)

《歌意》盛んに湧き出る雲、その雲のように生き生きと輝いていた出雲の娘子であったのに、その雲が消え行くように、娘子は吉野の川で、自らその命を絶ってしまった。美しい黒髪は水流に揉まれ、まるで玉藻のように、沖の波間を美しく揺れ動く。

 

 

 歌の語りとは言っても、それは自らが見聞きしたもの、経験したものを、人麻呂は題材にしている。その悲しい出来事に、その辛い心情に、哀れな境遇に、深く心を動かされ、つい歌として口に出たものである。その感動を吐露し語り伝えたから、聴衆も、その歌の場で、その歌の世界に深く酔いしれたのである。

 歌語りの作者、人麻呂は、死者を悼むばかりではない。残された家族の心情にも、また心を配り、深く寄り添うのである。

 彼が羈旅の折、狭岑(さみね)の島で、その荒磯の石の中に、不幸な水死人を見た時の歌を見てみよう。彼の歌は、その故郷の家族に対しても、深く思いを寄せている。

 

  をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に いほりて見れば

  波の音の 繁き濱べを しきたへの 枕にして 荒床に 自伏(こやせ)る君が

  家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉ほこの 道だに知らず

  おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは     (万葉集 220)

 

《歌意》島は数多く、あちらこちらにあるが、中でも特に、その名が霊妙に感じられる沙弥(しゃみ)いや狭岑(さみ)の島に私は来た。その荒磯の上に仮小屋を設け、海辺を見渡すと、波の音が轟き騒ぐ浜辺に、その荒涼とした磯を枕に、その荒々しい岩床に、倒れ伏す死人がいた。狭岑の島ゆえ、私が沙弥となって、弔いをしようと思うが、その人の身元が分からない。この水死人の家が分かれば、行って報せることもできように。その妻が知ったならば、すぐ駆け付け来て、どうしてこのようになったのかと、そのいきさつを問うことであろうに。だが様子も知らず、この島に来る道も分からず、ただ帰りの遅いことを心配し、不安の余り、さぞや、おろおろしていることであろう。哀れなことだ、死者が愛しいと思うその妻の存在を考えて見れば。

 

 人麻呂は、香具山を通り掛かった折にも、また行路死人を見る。その悲惨さに、思わず涙し、悲慟(かなし)みて作れる歌一首を、歌い語る。

 

  草まくら 旅の宿りに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに

                           (万葉集 426)

 

《歌意》 草を枕とする、この旅先の宿りで、斃れてしまったこの人は、いったい、どのような妻の、その愛しい夫なのであろうか。この人は妻の待つ故郷へ帰るのも忘れ、こうして、ここで死んでしまった。家では妻が、この夫の帰りを、今か今かと待っていることであろうに。

 

 悲惨な死者を語ることで、聴衆の涙を誘うのではない。残された者の心情を吐露することで、その歌語りの世界に聴衆を引き込み、その聴衆こそ残された家族であると、そのような形を表現したのである。実に巧みな歌の語りであったから、当代一の人気作歌家となり、様々な宴で、その場に相応しい歌を詠むよう命じられていった。