山陰沖の歌の語り(17)

第2章、水辺の歌語り

第9節、人麻呂の死(2ー9) 

 人麻呂終焉の地とは、石見の鴨山、そこには石川が流れ、下っては海に注ぐ。鴨山五首は、水辺に漂う人麻呂の魂を歌い語っている。


   鴨山の 岩根しまける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ
                            (万葉集 223)


《歌意》鴨山の岩根を枕にして、死を自覚し、伏せっている私なのに、何も知らぬ妻は、私の帰りを今か今かと待っていることであろう。

 

 この人麻呂の自傷歌に続き、その妻たる依羅娘子の歌二首が歌われる。

 

  今日今日と 我が待つ君は 石川の貝に交りて ありといはずやも

                            (万葉集 224)

 

《歌意》今日か今日かと、私が待ち焦がれているお方は、石川の河口で、貝に交わっているというではありませんか。

 

  直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲(しの)はむ

                            (万葉集 225)

 

《歌意》じかにお逢いすることは、もうとても無理でしょう。石川の一帯に、雲よ立ち渡りなさい。その雲を仰ぎ見ながら、あの方のことを、お偲びいたしましょう。

 

 人麻呂の妻は依羅娘子とあるから、その出自は河内国丹比郡依羅郷である。石見国に赴任していた人麻呂が死に臨んだ時、その連絡は石見国河内国という距離ゆえに、ある日数を置いて伝えられた。いや死に臨んだ折のことではなく、死亡後の連絡であった。荼毘に付され、その霊魂は雲霧と化し、その遺骨は石川に散骨されたという連絡であった。

 妻の歌二首は、鴨山の岩を枕にして、こと切れた人麻呂が、どうして石川の河口で、貝に交わることになったのか。その内容が唐突だとして、これまで大いに問題視されてきた。その結果、この224歌の原文「貝尓」というのが、山峡の意の峡(かい)であろう、あるいは山谷の意の谷(かい)であろうとする説も登場した。だが、これは人麻呂が自らの死を題材とした歌語りであった。石見の鴨山で、岩を枕にして、今や、こときれるという様を、自らが歌ったものである。つまり聴衆を前にしての語り物、歌語りである。現実には、瀕死の状況で歌など詠めるわけはないし、周囲に人が居れば、その人たちは彼の救護の処置であたふたしているであろうから、歌など話題にも上らない。一人寂しく孤独死する状況なれば、その臨死歌など伝わるわけもない。だから人麻呂臨死歌とは、まさに演劇のシナリオでしかなかった。だが、これは彼自身の壮大な虚構歌、死を以てする最後の物語であった。これで彼の歌語り人生は、もう終焉となる。

 だが物語は、さらに展開する。続編としての妻の歌二首で、荼毘に付された人麻呂物語が、さらに引き続き語られていく。そして丹比真人の歌一首、或本の歌一首が続いていく。人麻呂の歌の語りとは、聴衆を意識した歌の物語である。感動を激しく喚び起こすものであったから、その続編の語りが望まれた。鴨山五首とは、人麻呂を追慕する人々による虚構、河内国の依羅(よさみ)の人や丹比(たじひ)の人たちが、人麻呂の才能を愛し、彼を偲び、その死の情景を想定し、ここに並べ置いたものであろう。すなわち最初期の人麻呂伝承譚である。

 この河内国における人麻呂伝承譚は、水系を伝い流離する。河内国から摂津国へ、摂津から明石へ、そして瀬戸内海から日本海へと、物語はさらに伝播し展開する。その紡ぎ上げられた人麻呂物語は、水と死のイメージを大きく孕むものであった。