山陰沖の歌の語り(28)

第5章、後鳥羽上皇隠岐

 第3節、承久の乱

 源頼朝が鎌倉に幕府を打ち建て、三代を経た。その武門の側も、また歌の徳、文雅の道で、人民を治めようとした。

    宮柱 ふとしき建てて 万代(よろずよ)に 今ぞ栄えむ 鎌倉の里
                           源実朝金槐和歌集

    時により 過ぐれば民の悩みなり 八大竜王 雨止めたまえ
                           源実朝金槐和歌集

 だが幕府とは、本来、武威の府である。その武門の棟梁が武威を放棄し、文雅に向かえば、もはやその存在意義はない。当然ながら抹殺の運命にあった。
 鶴ヶ岡八幡宮に於いて、源実朝が暗殺されたのは建保七年すなわち承久元年(1219)のことである。その後、引き続き鎌倉は混乱の渦中にあった。この機会を後鳥羽は逃さない。再び京に政権を奪還するため、ここで立ち上がった。承久の乱である。