山陰沖の歌の語り(23)

第4章、歌の復権

 第2節、文事官僚の小野篁

 小野岑守の息男・小野篁(802~852)は、父と同じく漢詩文に巧みで「経国集」などに作品を残している。当時「詩歌の宗匠」とまで讃えられていた。その学識の深さは、清原夏野らと令義解を撰ぶことでも知られる。孫に六歌仙の一人の小野小町や、三蹟の一人の小野道風、また文武に秀でた小野好古がいる。彼の一族は名だたる文人の家系であった。

 

   小野妹子‥‥‥小野岑守 ── 篁 ─┬ 俊生

                       ├ 良真  ── 女子(小町)

                       ├ 葛繪  ─┬  好古

                       └ 忠範    └  道風


 承和五年(833)小野篁は遣唐副使に任ぜられた。だが大使の藤原常継と発遣に際し争い、病いと称し乗船しなかった。しかも遣唐のことを風刺した「西道謡」を作ったから、唐文化を重視する嵯峨上皇の逆鱗に触れ、遠く離島の隠岐へ流されてしまった。その配流の折の詩である。

      謫行吟(たくこうのぎん) 小野篁               
    渡航の郵船は 風定(しず)まって出(い)づ
    波頭の謫所は 日晴れて見ゆ                               (和漢朗詠集)                                   

 だが、その詩文の才を愛した嵯峨上皇によって。また後に召還され、本位に復する。地獄の如き流謫の経験、そしてそこからの生還、さらに復位し参議に列したとなれば、それは奇跡とでも言うべきものである。それゆえ世の人は、この篁の才を、地獄をも往来する鬼神の才と称した。後の世の人は、さらに思考を膨らませ、彼を地獄の王者、閻魔大王にも見立てていく。