第4章、歌の復権
第3節、唐歌から和歌へ
小野篁は、巧みに漢詩を作る傍ら、一方で和歌をも詠作していた。彼がさらに踏み込み、歌心をしっかりと捉えるようになるのは、隠岐配流に遭ってからである。艱難辛苦の流刑を経験したことで、彼は充分に自らの心に向き合っていた。その心の真実の叫びは、もってまわった漢文体(漢詩賦)よりも、やはり和(やまと)言葉による和(やまと)歌こそ相応しかった。
古今和歌集には、彼の歌六首が入集している。その内の二首。
隠岐に流される時に詠む 小野篁
わたの原 八十島(やそじま)かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣り船
隠岐に流されてから詠む 小野篁
思いきや 鄙の別れに 衰えて 海人(あま)の縄たぎ 漁(いさ)りせんとは