山陰沖の歌の語り(26)

第5章、後鳥羽上皇隠岐

 第1節、後鳥羽の登場

 源平合戦は壇ノ浦で終了した。亡くなった安徳天皇の後を承け、後鳥羽(1180~1239)は寿永二年(1183)僅か三歳にして皇位に就いた。

 

   ①後白河 ─┬ ②二条 ─ ③六条
        └ ④高倉 ┬ ⑤安徳
             ├ 後高倉 ─  ⑩後堀河 ─ ⑪四条
             └ ⑥後鳥羽 ┬ ⑦土御門 ─ ⑫後嵯峨
                   └ ⑧ 順徳 ── ⑨仲恭


 その多才多芸の才幹は長ずるに及び、いよいよ磨き上げられていく。和歌、連歌、管弦、蹴鞠などに造詣が深く、また流鏑馬、笠懸、刀剣、相撲など諸武芸にも、飽くなき興味を持っていた。儀式、年中行事といったことにも詳しく、当時の文化全般にわたり、自他共に許す知識の第一人者であった。その子の順徳が、若年にして有職故実の書「禁秘抄」を著したのも、父・後鳥羽の有する文化的背景のゆえと言われる。

 時代の文化体現者たる後鳥羽の、もっとも打ち込んだものが和歌であった。その歌論、歌学は精細を極め、厳しい彫琢が、その帝王ぶりと共に、彼の歌詠には窺える。正治二年(1200)から翌建仁元年(1201)にかけ、三度の百首歌を催し、歌壇の支配を確立した。
 彼は和歌所を興し、歌人を召し「上古以後の和歌を撰進す可く」院宣を下した。それが「新古今和歌集」撰修の始まりである。