山陰沖の歌の語り(29)

第5章、後鳥羽上皇隠岐

 第4節、後鳥羽の配流

 承久の乱は、北条泰時、時房らの活躍により、鎌倉方の一方的な勝利に帰した。京方は完全に敗れ、後鳥羽は隠岐へ、順徳は佐渡へ、土御門は土佐へと、三上皇は悉く配流されてしまった。そして仲恭天皇も廃位されてしまった。隠岐に流された直後の後鳥羽の歌三首を以下に示す。

  波間行く 隠岐の水門(みなと)に 行く舟の 我ぞ焦がるる 堪えぬ思いに
                         後鳥羽院(遠島百首)

  とにかくに 辛きは隠岐の 島つ鳥 憂きをば己(おの)が 名にや応えむ
                         後鳥羽院(遠島百首)

  隠岐の海を 独り来つる 小夜千鳥 啼く音(ね)に紛う 磯の松風
                         後鳥羽院(遠島百首)

 仲恭天皇に替わり皇位に就いたのは、後鳥羽の甥の後堀河である。その父は後鳥羽の兄の後高倉である。皇位に就かなかった後高倉であるが、治天の上皇となり、我が子を後見した。一方、配流された三上皇の側は、配流先で、互いの運命を気遣っていた。

  浦々に 寄する小波(さなみ)に 言問はむ 隠岐のことこそ 聞かま欲しけり
                         (土御門院御集)

  霜はなお 隠岐の古江(ふるえ)の 葦の葉に 群れ居し鳥の 跡や見ゆらし
                         (順徳院御集)

  消えやらで 波に漂よふ うたかたの よるべ知らせよ 八重の潮風
                         (後鳥羽院御集)