山陰沖の歌の語り(30)

第5章、後鳥羽上皇隠岐

 第5節、隠岐本「新古今和歌集」の成立

 政権奪還を目指し、立ち上がった後鳥羽は、承久の乱に敗れ去った。治天の地位を失い、流謫の日々にあっても、なお彼は時代の文化体現者たる矜恃を失うことはなかった。遙かな鄙の隠岐の地で、なお和歌に賭ける深い執念を見せる。

    我こそは 新島守(にいじまもり)よ 隠岐の海の 荒き浪風 心して吹け
                           後鳥羽院(遠島百首)

 世俗の帝王の地位は失ったが、なお言葉の帝王として、自ら信ずる歌論に従い、離島の孤独の中で、さらに新古今和歌集に切継(歌の追加や削除)を行った。水際立った華麗な新古今調は、やがて約四百首を削除され、淡雅寂寥の「隠岐本」新古今和歌集へと精選されていった。虚飾を削ぎ落とされ、透徹した和歌美学の極致が、こうして生まれ出る。それは雅びの京に於いてではなく、荒れた苫屋の隠岐においてこそ成立した。

   桜咲く 遠山鳥の しだり尾の 長々し日も あかぬ色かな
                         後鳥羽院隠岐本 新古今)

   深緑 争いかねて いかならむ 間なく時雨の 布留の神杉
                         後鳥羽院隠岐本 新古今)

   見るままに 山風あらく しぐるめり 都も今は 夜寒なるらむ

                         後鳥羽院隠岐本 新古今)

   袖の露も あらぬ色にぞ 消えかへる 移れば変わる 歎きせしまに
                         後鳥羽院隠岐本 新古今)

 万乗の天子から流人へと転落した後鳥羽である。島にあって、葛藤、怒り、悲しみ、諦め、そして祈りの日々であった。それゆえに自らの心に厳しく対峙していた。そのような後鳥羽にして、はじめて成し遂げられた究極の歌の境地であった。