山陰沖の歌の語り(35)

第6章、歌の変容

 第2節、連歌の始まり

 連歌は、後鳥羽や定家や家隆ら、新古今の歌人たちによっても愛好されていた。承久の乱の以前から、もう既に詠まれている。そのような初期の連歌群を、以下に示しておこう。

  (前句)嶺高き 照射(ともし)の影に たつ鹿や
  (付句)くらきに まよふ ためしなるらむ      後鳥羽(菟玖波集)

  (前句)都をこふる 袖やくちぬる
  (付句)霜の後 夢も見果てぬ 月の前        定家(菟玖波集)

  (前句)うぐひすの しるべもつらく 吹く風に
  (付句)山路にかかる みねのしらくも        家隆(菟玖波集)

 なにやら後の後鳥羽の運命を、この歌々は暗示しているようではないか。歌い合う中で、心に潜む時代変転の意識が、すなわち彼ら自身やがて旧体制となる怖れが、無意識のうちに顔を出していたのかもしれない。ともあれ、連歌が隆盛を極めるのは、後鳥羽の時代より約百年の後、後醍醐天皇によって起こされた南北朝の動乱期のことである。