山陰沖の歌の語り(39)

第6章、歌の変容

 第6節、後醍醐の決意

 脱出した後醍醐を追って、隠岐判官の佐々木清高伯耆へと渡った。だが後醍醐を守る武力は既に準備されていた。出雲に在った一族の富士名(ふじな)判官・佐々木義綱は、既に後醍醐を支える立場にある。旗幟鮮明にしなかった塩冶(えんや)判官・佐々木高貞も、もう後醍醐を担ぐ体制を明らかにしていた。

     佐々木氏系図(義清流)
       佐々木五郎義清──泰清 ─┬ 頼泰 ─ 貞清 ─ 高貞(塩冶判官)
                      ├ 頼清 ─ 泰信 ─ 義綱(富士名判官)
                      └ 時信 ─ 宗清 ─ 清高(隠岐判官)

 隠岐判官の佐々木清高は、鎌倉譜代、その引付衆の一人である。幕府の屋台骨を支える役柄を持つ。彼は隠岐に帰ることなく、京の六波羅軍へと合流した。だが天皇方となった足利尊氏軍に六波羅は攻撃され、陥落してしまう。なお再起を企て、父祖の地・近江へと逃亡する。しかし進退窮まり、近江の番場の宿にて、一族ともに自決し果ててしまった。
 一方、鎌倉の府も、新田義貞軍の猛攻を受け、また落ちてしまった。こうして後醍醐の復権は成った。後醍醐は、隠岐脱出の苦難を忘れない。そして脱出に手を貸してくれた港湾の人たち、海の流通業者たちを忘れない。そして脱出の折の、強い決意も、また忘れなかった。

   忘れめや よるべも浪の 荒磯を 御舟のうへに とめしこころは
                           後醍醐天皇新葉和歌集