山陰沖の歌の語り(40)

第6章、歌の変容

 第7節、後醍醐の建武新政

 後醍醐の力の源泉は、新たに勃興してきた中小商工業者たちの経済力に負う。後醍醐の新政は、彼らの経済的繁栄を促進するため、積極的な通商交易政策を採った。関所停止令や、市場交易の貨幣たる「米価」の安定政策である。
 また職能集団を保護し、利を奨励し、流通を円滑にするため紙幣の発行までも予定に組み込んでいた。古い農本主義社会から新たな流通経済社会へ、政治の舵取りを大きく転換するものであった。巷の流通業者たち、悪党・海賊の類、密教行者・祈祷僧・婆娑羅あるいは非人など、当時の社会通念上の異形・異類の者たちを、後醍醐は積極的に動員し登用した。この例の無い新例(秩序破壊)を、旧体制擁護派の側近は押し止めようとする。だが後醍醐は聞き入れない。隠岐に流され隠岐から帰還し、その間にあって、この異業・異類の者たちの社会での役割を充分に認識したからである。だから敢えて前例を無視し、積極果敢に新政を行った。

    今の例は古(いにしえ)の新儀 朕が新儀は未来の先例たるべし
                          後醍醐天皇(梅松論)

 後醍醐の変則異様な政治体制は、まさにこの変革の時代を反映するものであった。民力の勃興、社会の発展は、すでに社会各層に種々の軋轢を生んでいた。それを解決するための短兵急な政策は、急激ゆえに、いたずらに混乱を招くだけに推移した。建武新政権は、その壮大な意図とは裏腹に、うたかたの如く短期間に潰え去ってしまった。
 当時の混乱は二条河原の落書に見る通りである。天下は、いよいよ二分五裂する大動乱へと展開した。だが経済社会の方も、政治社会に劣らず、また激しい勢いで新たな展開を見せる。当然ながら、また文化社会もである。

      二条河原落書
    此の頃 都に流行るもの 夜討ち 強盗 にせ綸旨
    召し人 早馬 虚騒動
    ‥‥‥‥‥‥‥(中略)‥‥‥‥
    京鎌倉を こきまぜて 一座揃わぬ えせ連歌
    在々所々の 歌連歌 点者にならぬ 人ぞなき
  譜代非成の 差別なく 自由狼藉の世界なり
  ‥‥‥‥‥‥‥(以下略)‥‥‥‥ 

 自由闊達な社会の到来で、その自由経済は活況を呈し、巷では連歌や歌謡などが歌われ、諸芸能が演じられていた。大衆は消費生活の喜びを享受し、その開放感を謳歌していた。