山陰沖の歌の語り(50)

第6章、歌の変容

 第17節、宗祇の連歌
 長享二年(1488)連歌の大成者・宗祇は、弟子の肖柏と宗長とを伴い、摂津の水無瀬神宮へ赴いた。ここは後鳥羽院の霊を慰める社である。その御廟の霊前に、三人で連歌を詠み、供え奉った。数ある連歌集の中で、その最高傑作と評される「水無瀬三吟」である。その発句は後鳥羽の最高傑作で、かつ新古今和歌集中の第一の名品、この水無瀬離宮を詠んだ歌を承ける。

    見渡せば 山もと霞む 水無瀬川 夕べは秋と なに思いけむ
                       後鳥羽院隠岐本 新古今和歌集

 そして宗祇の発句が詠み始められる。後鳥羽の意識した秋の夕べ(定家の秋の夕べ)は、もう宗祇には新春、春霞の夕べへと移っていた。和歌の定家、連歌の宗祇と、そのような意識も含まれている。

      雪ながら 山もと霞む 夕べかな      宗祇

 宗祇の発句を承けて、弟子の肖柏が引き続き脇句を付ける。雪の山から流れ下る水、その先には梅の匂う里があると。

      行く水とほく 梅にほふ里         肖柏

 山と川、見る美しさと匂う美しさ、行く水の後鳥羽と飛び梅菅原道真、配流に遭った二人を偲ばせる。歌の水無瀬宮から行く水は、淀川と瀬戸内海を辿り、やがて歌の天満宮へと向かう。様々な世界が背景にある。対照の妙を捉え、師と弟子は相寄り、美しい一つの世界を構築していた。そしてここに、もう一人の弟子・宗長が、第二の歌を承け、第三の歌を付き合う。

     川風に ひとむら柳 春見えて        宗長

 香り高い梅から、川風の心地よい音と肌触りのよい柳へ、水から風へ、梅の里から柳の村へ、この対比を歌に付け寄せ詠んでいった。歌の世界は流れるが如く、こうして次々と変化し展開していく。
 次々と連なる歌は、その歌詠の度ごとに、万華鏡の如き美しい世界を、三人の心の中に現出させていく。三吟は、さらに興に乗り続いて行く。そしてついに結句に至る。

     人をおしなべ 道ぞ正しき          宗長

 すべての人に、正しい道が行われている、とする挙句(あげく)である。この掉尾を飾る祝言の歌は、後鳥羽の次の歌を本歌とする。

    奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせむ
                       後鳥羽院隠岐本 新古今和歌集

 後鳥羽の本歌は、また配流に遭った菅原道真の次の歌とも関わりを持つ。

    足曳きの かなたこなたに 道はあれど 都へいざと いふ人のなき
                       菅原道真隠岐本 新古今和歌集

 これは後鳥羽の深い思いとも交叉する。水無瀬三吟は、後鳥羽に導かれ発句を得、挙句の果てに後鳥羽へと行き着いた。配流に遭った後鳥羽を弔い、歌に掛ける後鳥羽の思いを、しっかりと受け継ぐのである。