山陰沖の歌の語り(51)

第6章、歌の変容

 第18節、宗祇から宗長へ

 元来、連歌の意識は庶民の遊びであった。互いの機知と諧謔を生命に、その贈答応酬の中から、連歌は生まれ出た。それは韻文による笑いであり、喜悦であり、快楽であった。だがここに宗祇によって、その芸術性は最高度に磨き上げられてきた。
 後鳥羽によって歌の芸術性が最高度に高められていたことを、よく承知していた宗祇なればこそ、これは成し遂げることのできた境地である。連歌は、この和歌芸術の上に花開いた。
 宗祇は後鳥羽の和歌芸術を継承する意識を持っていた。だが弟子の宗長など次の世代は、宗祇のような和歌に対する深い思い入れなど、もう無かった。宗祇が和歌に執着したのと好対照に、弟子の宗長は、あくまでも連歌師に徹していた。だがその宗長も晩年に至り、小歌や狂歌俳諧に深い関心を払っていく。宗祇を過ぎ、宗長も過ぎれば、もう連歌の時代は過ぎ去って行くのである。

 やがて新しい歌の時代が開かれていく。小唄、端唄、俳諧など、雑歌の流行する近世は、もう直ぐそこである。その先蹤を担うのが室町小唄であった。