山陰沖の歌の語り(56)

第7章、歌の分化

 第2節、蓮華会舞

 隠岐国分寺には古式の舞楽「蓮華会舞」が残されている。蓮華会の名称起源は、蓮華の日(蓮華生)六月十五日の祭事であったからである。それは節句麦秋、麦盆の日である。水田の少ない隠岐にあって、その牧畑耕作の主産物は麦であった。その新穀を仏霊に供え、その実りを感謝し、皆喜び踊るという祭事である。すなわち感謝祭である。
 昔、蓮華会舞には百二十種類もの舞があったという。国衙体制の官寺たる隠岐国分寺は、隠岐国の文化拠点として、一国を代表する法会。祭礼を執り行っていた。かつては全島四十八ヵ村から、舞手や奏者らが出仕し、仏を拝み、五日五晩を踊り明かしたという。祭礼舞に続き、民の歌、民の踊りも、また様々なものが演じ行われていたに違いない。

    麦搗(つ)き 何より辛(こわ)い 麦に親子は ござりゃせぬ
        ソラ 搗け ハラ 搗け        (隠岐 麦搗き唄)

    石の臼がよい 木の臼がよい 臼に変わりは ござんせん
        アラ ドッチン ドッチン       (隠岐 石搗き唄)

   
 現在演じられている舞は、麦焼舞・仏舞・眠り仏・獅子舞・太平楽竜王舞・山神貴徳の七種である。これらは奈良時代の仏教法会の荘厳楽の系譜を引く。修正会や修二会の芸能から、呪師の猿楽へ、さらに能の翁舞へと辿る中世芸能の、古様の姿を今ここに見る。