山陰沖の歌の語り(59)

第7章、歌の分化

 第5節、庭の舞

 庭の舞は、神の社、その斎場で舞われていたもので、この島では港湾の市、港の市庭で舞われていた。その歌詞の断片から判断すれば、これはもともと東遊の駿河舞であった。

     今朝の節句(せく)のもの
       七絃(ななつ)もの 八絃(やつ)もの 琴の調べるが如し
     よくよく聴聞(ちょうもん)ととのへて うたうもの 知るべし
       駿河(つるが)なる有度浜(うどはま)に出て 遊ぶは千鳥
            あんぱーれーいらーれ
       小松ヶ梢(こうまつがうえ)に遊ぶは千鳥
            あんぱーれーいらーれ
       万代(よろずよ)までも遊び栄えむ
            あんぱーれーいらーれ 
                     庭の舞(隠岐国浦郷 日吉神社

 

 東遊、本来それは東国の遊び歌である。鎌倉に幕府ができて以後、東国と京を結ぶ交流の中で、それは発生した。駿河国の如き街道の国々を伝い、勧進巫女、白拍子、曲舞女たちの活動と共に、また流通業者たちによって。畿内へと伝搬した。

        浜に出でて 遊ぶ千鳥なり
          あやしなき 小松が上に 網な置かれそ
                   (建久三年 皇太神宮年中行事)

        え 我が夫子(せこ)が 今朝の言出(ことで)は
          七絃(ななつお)の八絃(やつお)の琴を
              調べたる如(ごと)や如(ごと)や
          なをかけ山の かづの木(け)や  をををを
                   (東遊 二歌)

        や 有度浜に 駿河なる 有度浜に
           打ち寄する波は 七草の妹(いも)
            ことこそ良し ことこそ良し
          逢へる時 いざさは寝なむや
           七草の妹 ことこそ良し      (駿河歌)

        あやもなき 小松ヶ梢(うれ)に
          網な張りそや 網な張りそ      (駿河歌)

 東遊の駿河舞は、近江国、琵琶湖水系を辿り日本海へ、そして隠岐へと渡ってきた。その美しく煌びやかな駿河舞の、本来の有様は、例えば次の如きものであったろう。

        少女(おとめ)は衣を著(ちゃく)しつつ
          霓裳(げいしょう)羽衣(うい)の曲をなし
        天の羽衣 風に和し 雨に潤う 花の袖
          一曲を奏で 舞うとかや
        東遊の駿河舞 東遊の駿河
          この時や 始めなるらん      (謡曲 羽衣)