山陰沖の歌の語り(61)

第7章、歌の分化

 第7節、商いの踊り

  琵琶湖水運の要、その大津を掌握する日吉神人たちは、ここに集積する日吉社・叡山の荘園物産を取り扱っていた。つまり運輸、貯蔵、移送、そして販売へ至る諸業務である。琵琶湖水系での彼らの活躍は、さらに発展を遂げ、日本海水系への進出を果たす。その海路交流の流通業掌握の中で、いつしか山陰沖の海への往来もあった。彼らによって、物資交流と共に、近江国由来の諸芸能・諸神事が往来した。全国に広がる日吉社の勧請、その神事祭儀の普及とは、宗教者と芸能者と流通業者の、未だ分化されない時代の背景の中で成立した。
 聖なる宗教的庭場において、神仏を前に諸芸能が演じられた。隠岐に残る風流田楽舞「十方拝礼(しゅうはいら)」や、大地の踏み鎮め神事「神の相撲」や、東遊(あずまあそび)の駿河舞「庭の舞」とは、物資交流の市庭で披露された、その諸芸能の一つだった。それは京や近江から、琵琶湖水系を越え、日本海の港々を繋ぐ商いの結果、隠岐に伝わったものである。

         

   明日は吉日 下(しも)くだろ
       思う夜妻の 暇(いとま)乞い
              商い踊りを ひと踊り
   ここは寺かよ 竹障子(たけしょうじ)
       出会いて 何しょにゃ よい障子
              商い踊りを ひと踊り
   見事(みごと)商い し済まして
       国へ戻りて 語るべし
              商い踊りを ひと踊り
                    商い踊り(鹿持雅澄「巷謡編」)

 

 念仏踊りも、山伏踊りも、商い踊りも、市で繰り広げられた諸芸能の一つである。廻国の聖たちは、宗教と情報と物品と芸能を、市庭に持ち込む商人であった。